この世に生まれてきた意味
なんで自分は生きているのか。
思春期になったら考えたことがあるという人は多いのではないでしょうか?
私は、幼稚園の入園式の時に、なぜ自分は生きているのかと考えたことがありました。
幼稚園児の時からそんなことを考える人は、ちょっとさすがに早い気はしますよね。
私は人の生き死にのことに関心を持ちやすいタイプです。
人は皆向上心がある。
人は皆人の役に立ちたいという本能がある。
言葉が分かるのかどうかまだ怪しいくらいの子どもでも、何かをやってくれてありがとうと言うと嬉しそうにする。
「どうぞ」という言葉を覚えると、人に何かを渡してどうぞと言う。
ありがとうと言うと嬉しそうにする。
自分が生きがいを感じたければ、他人に感謝されるような生き方が出来たらいい。
人に生きがいを与えたければ、他人に感謝の言葉を投げかけたらいい。
何かをやってもらってありがとうを言う。
何かをやってもらうことは悪いことのように思っている人もいる。
迷惑をかけていると思ってしまうから、何でも自分でやってしまう。
それは相手を信頼していないとも言える。
相手を役立たずにしているとも言える。
今日は久しぶりに、患者さんとそんな話をした。
おじいちゃんおばあちゃんに長生きしてもらいたいなと思ったら、役立たずにしたらダメ。
危なっかしいからとか、心配だからと言う優しさに見せかけた保身で、高齢者の自由を奪ったらいけない。
自分の為には動く気がしなくても、誰かのためなら動こうという気になれる。
だから、誰かに動いてもらうことも必要なことだと知っていて欲しい。
自分一人のご飯は作るのが面倒でも、誰かの為ならしょうがない作るか、と思える。
人は誰かといることで、知らず知らずのうちに必要とされる。
幸せなことです。

