【松山市鴨川のしまもと整体院】

松山市鴨川のまじめな整体、しまもと整体院

TEL.080-6395-8749

私が開院した理由

カイロプラクティックに出会うまで

小学校入学式の写真

私は昭和57年8月2日、この地松山に誕生しました。
逆子で仮死産だったと聞きますので、随分心配を
かけたと思います。

その後元気にすくすくと成長し、
小学生の頃は分かりやすい、わんぱく坊主だった
と思います。
勉強はしないけど遊びと運動だけは最優先する、
子供らしい子でした。





中学校ソフトテニス部の写真 中学に入り、ソフトテニス部に入り、
日々の鍛練に励みました。
高校でもソフトテニス部に入り、メキメキ
上達する中、悲劇は起こりました。

ふとしたきっかけで手首をねじって
しまったのです。
それ以来手首の小指側に痛みが走るよう
になりました。

その後部活を続けるうちに、痛みは激しさを増し
ついにはボールペンを持って文字を書くことすら出来ないほどの
痛みに変わっていきました。

病院を何件回っても、「腱鞘炎みたいなものでしょう」
「少し靭帯を伸ばしたのでしょう、安静にしていれば治ります」
と言われて、湿布をもらうだけでした。
(後から分かることですが、この症状はTFCC損傷と呼ばれるものでした。)

整体にも行きましたが、良くなる兆しは見られませんでした。
安静にしていればひと月もすると痛みは治まります。
しかしその後、ラケットで球を打つとすぐに再発します。
見た目は問題ないのに、激痛で物が持てなくなるのです。

「サボってるんじゃないの?」と言われる度に
はらわたが煮えくりかえるような怒りが湧くのでした。

安静にしている間も、玉拾いをしたり、ランニングをしたり、
筋トレをしたり、手首に負担の掛からないトレーニングは
一度もサボらなかったからです。

安静と再発を繰り返し、3ヶ月ほど安静にしても数日で再発したとき
私の心は折れてしまい、部活を泣く泣く辞めることにしました。
痛めてから一年ほど、出口の見えない辛い日々でした。




社会人になってからの写真 その後高校を卒業した後は、一部上場の
全国展開している機械のメンテナンスの仕事に
就きました。


浜松、名古屋と勤めましたが、会社とお客さんの
板挟みのストレスや、地元に戻りたいとの思いが
強くなり退職を考えるようになっていました。

ある日仕事の移動中のエレベーターの中で、
乗り合わせた赤ちゃんとお母さん。

赤ちゃんは私を見て、ニコニコと笑顔を見せて
くれていましたが、うまく笑い返してあげることが出来ませんでした。

自分らしさを失いつつあることに気付き、
4年間務めた会社を退職することに決めたのでした。



その後、新しく仕事をする際には、
①地元で働けること(転勤がないもの)
②納得のいかないものを人に勧める必要が無いもの
③人にやさしく出来るもの
④やりがいを感じるもの

を重要視して働きたいと思っていました。
初めは保育士や、カウンセラーになりたいと思っていたのですが
職業安定所の適正検査の結果にカイロプラクターという職が出て
きたことから興味を持ち始めました。

保育士やカウンセラーになるための本を買いに立ち寄った書店で、私が卒業したカイロプラクティックの学校の学長が書いた本に出会ったのです。

【カイロプラクティックほど素敵な仕事は無い】です。
カイロプラクティックほど素敵な仕事は無いの書籍運命に導かれるように道はつながったのです。

私は地元に戻りたくて仕事を辞めたにも関わらず
勉強の為に東京に行くことを決めたのは、
この先生の元で勉強をしないと意味がない。」
と思ったからです。

カイロプラクティックは日本では国家資格では
ないので誰でも名乗ることのできる仕事です。
整体師、カイロプラクターは名乗るのは自由です。
知識や腕があるかどうかはその人次第です。

だからこそ、どこで学ぶか、信頼できる技術と知識か
誰から学ぶかをきちんと定めないと意味がないのです。

こうやって、私のカイロプラクターとしての人生は始まるのでした。
2006年春 カイロプラクターとしての一歩を踏み出しました


なぜこの仕事を選んだのか

①地元で働けること(転勤がないもの)
②納得のいかないものを人に勧める必要が無いもの
③人にやさしく出来るもの
④やりがいを感じるもの

という私が仕事を辞めてやりたいと思ったものに
そのまま当てはまったのが第一です。

手先の器用さには自信があったし、興味のあることを追及することは
私は苦になりません。
やればやるむほど、経験になって上達する世界は
楽しみで仕方がなかったのです。

そして自分が追求したもので、弱ってる人、困ってる人を助けられる
ということが魅力的でした。


カイロプラクティックを選んだ理由

運命に導かれるように現れたからということもありますが
他の治療法に比べて可能性を感じたからです。

国家資格があるのは医師以外にも、柔道整復師、鍼灸師
あん摩マッサージ指圧師などがあります。

しかし、国家資格になるものはさまざまな縛りも生まれるものです。
まず、基本的には医学をベースにするということです。
医学で良くならないものを良くしたいのに、医学をベースにすると
結果は同じなのでは?という疑問も湧いていました。

私がカイロプラクティックを教わった大川先生は
従来のカイロプラクティックではなく、最新のカイロプラクティックを
教えたいということを説明会などでも話していました。

古い常識にとらわれないで、最新の知識と情報を取り入れて、
患者さんを快方に導いていく、ということに共鳴したというのが
決断のきっかけです。


なぜ独立しようと思ったのか?

学校に通いながらクイックマッサージ店で腕を磨き、その後整体院に
勤めて、3年半修業しました。
施術の技術も知識も増えていくことを実感していたのですが
この仕事は人と人とのつながりが非常に大きな仕事だと感じていました。

つまり技術があれば他の先生でもいいわけではなくて
私だから施術を受けたいと思ってくれていることもある
ということに気付いたのです。

嬉しいことである反面、私は地元に帰って、地元の人の
健康を守りたいと思っていたし、関わる人とは長いお付き合いを
していきたいと思っていました。
つまり、東京で働いていて地元で開業するつもりなら
いつかはその人たちとお別れをしないといけないのです。

働く期間が長くなればなるほど、担当患者さんは増えていき
関係は深くなり、別れは惜しくなります。
いつかは離れることになるという事に心苦しさを感じていました。

そしてこの仕事は生涯勉強です。
もう十分という時は来ないのです。

それならばある程度の知識と技術は身についた。
そして治療の世界には終わり(完成)がないことを考えたら、
自分のお店を持つのは早い方がいい!

早く生まれ故郷に戻って、そこで長くお付き合い出来るように
環境を整えたほうがいいのではないかと思い、開業を決意したのです。


これからやりたいこと

私が高校生の頃悩まされた手首のケガ(TFCC損傷)は
私が学んだトリガーポイントセラピーで解決できました。

現在はバドミントンを週に1・2回、多い時は5・6回やることもあります。
手首の痛みは今ではほぼありません。
少し張ることがあっても、ケアをすべき場所が分かっているので
何も不安になることが無いのです。

運動をしたら筋肉痛になることもあります。
でも、いわゆる筋肉痛であれば皆さん不安になったりしないと思います。

原因が分からない、
痛みがどんどん悪化する、
やりたいことが出来ない、
将来体がどうなるか分からない。

こういう痛みの原因と対処方法が分からないことが不安にさせるのです。
不安によって、また様々な体調不良も現れたりします。

「出口の見えないトンネルは歩けない」

山の気持ちのいい景色 けれど、一筋の明かりが見えれば、人はまた
歩み始めます。

インターネットの普及により、自分で情報を
集めることも容易な時代になりました。
しかし、現在でも正しい情報は広がらず、
常識になってはいません。
出口のように見えて、実は出口から遠ざかる
ような迷路の入り口が沢山あります。

正しい情報を広げて、不安な人を一人でも多く救うことが
私の使命だと思っています。

地道な勉強と技術の研磨、そして着実に経験を積むことにより、
困っている人が迷路から抜け出せるよう、ひとりひとりと向き合い、
解決に向けて手を引けるように頑張ります。


長くなってしまいましたが、ご覧いただきありがとうございます。