幸せのハードルは勝手に…
小学生の頃、遠足にはおやつがつきもので。
おやつは250円まででした。
250円握りしめて、お菓子コーナーをワクワクしながら駆け回ってました。←走るな
あのころ250円で、大満足な買い物が出来た。
今だったらいくら握りしめたらあんな大満足な買い物が出来るのだろう。
冒頭の話が長くなりましたが、幸せのハードルって、勝手に上がっていくんですよね。
初めは幸せを感じたことでも、だんだんと幸せではなく当たり前になっていく。
恋人が出来たばかりの時、ただ一緒にいられるだけで幸せを感じられた。
車を買ったばかりの時、ハンドルを握りしめるだけで幸せを感じられた。
整体を始めたばかりの時、お客さんの症状が良くなっただけで幸せを感じられた。
気が付いたら、だんだん当たり前のように思ってしまう。
「ありがとう」
の言葉の反対は、
「当たり前」
だそうです。
ありがとうは漢字にすると、有難う
有ることが難しい 有り難い
ありがとうって感謝の言葉だと思ってた。
でも本当は幸せってことなのかもしれない。
幸せのハードルは勝手に上がってしまう。
でもそうすると、幸せを感じられなくなってしまう。
どんどん幸せのハードルを下げていきたい。
幸せな人は、幸せのハードルを下げられる人なんだと思う。
ちょっとしたことで幸せを感じられる。
だから、すぐに幸せになれる。
感謝って人のためにするんじゃなくて、自分が幸せになるためにするもの。
簡単そうで難しい。