やれば出来る、やらなきゃ出来ない当たり前
しまもと整体院では、非常識なアドバイスが横行します。
一般的には痛い動きは避けましょうとなりますが、しまもと整体院では徹底的に痛い動きをしてもらいます。
痛かった動きが痛くなくなって、良かったですね、で終了とはなりません。
「前は痛かったのが痛くなくなったのは良かったですね、では他に痛い動きはないですか?なければ探してください。」
となります。
無理して動かさなかったら痛くないです、と言われた場合どうするかと言えば、本当に無理な動作であればもちろん止めてもらいますが、普通の動きであればやってもらいます。
関節の可動域として無理があるのであれば、そんなものはやらないでくださいとなりますが、普通に動く範囲内であれば、痛みが出るほうがおかしいのですから、やってくださいということになります。
痛めてない手首で出来る動作や、以前は出来ていた動作は無理な動作ではないのです。
やれば出来る、やらなきゃ出来ないというのは痛む動作の話。
痛む動作をしながら、きちんとケアをしていれば、その動きは出来る動作になるけど、痛む動作をそもそもしていなければ、その動作が出来る筋肉にはならないのです。
筋肉に負荷を掛けずに、筋肉を強くすることは出来ない。
そう言うことです。
当たり前の話。
ですが、世の中の常識的には、痛みは関節の軟部組織の損傷ということになっているから、動かすなとなっているのです。
そして、痛い動作はしてはいけないという常識にしばられているから、信じられないのです。
私は自分の痛みを克服したこともあり、こちらに通ってくれる人を見てきた結果、やっていることに確信を持っています。
が、痛みを乗り越えられるかどうかは人によるとも思っているので、強制はしないのですが、治したいんだったらやりましょうと言うのです。
強い希望があれば、少々の壁は乗り越えられます。
しかし、本人が望んでいないことの為には壁を乗り越える力は湧いてきません。
痛みを乗り越えるというだけの話でもなく、痛みを乗り越えた先に何があるのかということです。
極端な話、趣味無し、友人無し、お金無しの高齢男性がいたとして、大変なリハビリを乗り越えて、歩けるようになりたいか?と言うともうそんな気力は残っていないかもしれません。
しかし、その人に友人がいて、趣味があって、お金もあれば、リハビリを乗り越えた先にはやりたいことがあり、実現出来る確証が持てるから、頑張れるのです。
痛みを取ると言っても、その先に何があるのか?
そういう背景があるから、私は生き方の話をよくするのです。
哲学的な話をするのも、治る力、生きる力に直結するからです。
努力は希望の為にするのであって、義務の為にするものでは無い。
希望の為の努力は、周りの人が思うほど、本人にとっては苦労ではないのです。
本田宗一郎さんは、夜通しどころか昼食の時間も惜しんで、研究・開発をしたということで有名ですが、苦労をしたのではなく、夢中でやっていたのです。
同じことをしても、夢中になる人もいれば、嫌々やる人もいるのです。
だから、やりたいことをやらないとダメですよと私は言うのです。
為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さねばなりけり
という言葉がありますが、その言葉にも通じますね。
痛みと向き合うか、痛みから逃げ続けるか。
私は乗り越え方を見つけたけど、簡単で楽な方法は知りません。
私は夢中でやったから、苦労を苦労とも思わなかったし、才能があったから自分ですぐ出来ただけ。
痛みは乗り越えられるんですよ。
知られていないだけで。
2023年3月2日に撮られたつくしの写真
春はもうすぐそこまで
自然の世界は、法則に従って脈々と続いてきている
人が知らない法則が沢山あるだけ

