痛みを取ることは難しくない
松山で整体院をオープンした時、開院祝いでマイク頂きました。
(”ヒトリカラオケ好き”という事で、もらったけどマイク持参は恥ずかしい!)
先日久しぶりに、カラオケに行きました。
斉藤和義の歌うたいのバラッドを歌いました。
嗚呼 唄うことは難しいことじゃない
っていう歌詞で始まるんですよね。
私は歌うたいじゃないので、歌を届けることはありません。
なので、自分の仕事に置き換えると、
嗚呼 痛みを取ることは難しいことじゃない
ってなるんですよね。
そりゃ難しいこともあるけども。
でも多くの人の施術は効果が出る。
効果が出る人の施術はそんなに難しくない。
どうにもならない人をどうにかしようとするから難しくなる。
私が難しいと思うのは、その人に「治る」と信じてもらう事。
良くなるって信じてもらえないと、動かしてもらえないから。
今日来てくれた、初めましてのお客さん、私が施術をしたら、痛みが取れた。
もちろん一回の施術で痛みゼロにはならない。
けど、施術を受ける前と受けた後では、動かすことへの怖さが全然違う。
さっきまではこんなのできなかった、が出来るようになる。
ここまでは私にとっては難しいことじゃない。
ここから先、その人が完全に痛みを克服してもらえるかどうか。
まだこの動きが痛い、っていうのも、私が触っていけば、
「あ、痛くない」
ってなるのは普通。
問題はその人が、自分でも出来るようになるか。
ある程度出来るようになったら、もっと出来るようになるか。
ゴルフは出来るようになりました。
でもまだここまで振ると痛い。
ってなった時、その痛む動作は日常的には無くなっていきます。
わざわざその動作をしないと痛くなくなるのです。
その痛くなる動作をわざわざやってください。
とお願いしないといけなくなるのです。
なぜか?
それは、やらない動きは出来ないまま、出来るようになるには、その動きをやらないといけないから。
自転車くらいなら、しばらく乗らなくても、乗れなくなるというのはあまりないかもしれないけど、
一輪車はしばらく乗らなかったら乗れなくなります。
乗れなくなった一輪車、乗れるようになるにはどうしたらいいでしょう?
乗れるようになるために、乗れなくても乗ってくださいという事です。
痛くても根性でやるしかないんですね?!
と言われるとそうじゃない。
だって、ちゃんとケア出来たら痛くなくなるのだから。
でも、ちゃんとケア出来るようになるには、ケアをやるしかない。
私の施術を受けながら、自分でやるときと何が違うのか、気づいてもらうしかない。
押し方なのか、
動かし方なのか、
強さなのか、
全部なのか。
恐怖心のない若い子は回復が速い。
それは若さゆえの回復力もあると思うけど、それ以上に
「年を取ったらあちこち痛くなる
痛いのに無理したらもっとひどくなる
安静にしなかったら、取り返しがつかなくなる
素人が下手にマッサージしないほうがいいんじゃないか?」
と言ったような、世間的な常識、と言う名の呪いに掛かっていないから。
じゃないかな?と思うのです。
世間の常識の真逆をやれば、風当たりはきついです。
私にとっての風当たりは、手首の専門家の言葉です。
靱帯が損傷している、骨がぶつかって炎症が起きている。
その言葉を信じている人は助けられないのです。
洗脳を解く作業に、多くの時間と体験が必要になるのです。