ダブルスタンダード
ある時は良いといい、ある時は悪いという。
同じような現象で、異なる説明をするときなどに、ダブルスタンダードだと思われることがある。
私が人に対して思うこともあるし、言われることもある。
自分はいいのに他人はダメなのか。
みたいに。
この問題は受け取りての感情的なものがあるから、説得が難しいことはありますよね。
視点を変えれば理解できるけど、一つの視点でしか判断しないなら、ダブルスタンダードだと思われかねない。
ダブルスタンダードと対局にあるのが、ケースバイケースではないかと思う。
状況によって、答えが変わることもあると。
手首が痛くて、スポーツが思うように出来ないという人がいたとする。
痛みがあっても、かまわずやってしまう人に対しては、
「もう少し安静にする必要がありますよ」
という事もある。
でも、怖くて動かせない、と言って、ずっと固定しているというような人には、
「ちょっと痛みが出ても、かまわず動かしていかないといけないですよ」
と説明することもある。
ある人には痛いなら無理するなと言うし、ある人にはちょっと痛いくらい気にせず動かせという。
動かせと言ったり、動かすなと言ったり、どっちなんだよ!?
ってなる第三者もいるのです。
Aさん、Bさん、Cさんって三人いれば、アドバイスは人それぞれ違う。
でも、ネットで発信などしていれば、いろんな立場の人が見る。
そうすると、
「それはおかしいと思う」
みたいに言う人が出てくる。
そりゃそうですよね、状況が違えばアドバイスも違うのだから、自分には当てはまらないと思う人もいる。
で、非難することもあるのだろうけど、そういう人って、そもそも否定的に見ていることが問題なんですよね。
肯定的に見ていれば、
「ケースバイケースなんだろうな」
と思えるだろうに、否定的に見ているから、
「以前と違うことを言っている。
そういうダブルスタンダードなことをするから信頼をなくすんだ」
って言いたくなる。
私は昔から理屈で考えるのが得意。
だから、あらゆることを理屈こねて考えている。
なんでこう思うんだろう?あぁあの時はこうだったけど、今回はこうだからこう感じるんだな。
では、そうじゃないように思うにはどう考えたらいいのだろう。
というように、考える癖がある。
だから、ほとんどの場合、否定的なことを言われても、
「こうこうこうだから、こうなんですよ。」
と言えることが多い。
答えのない整体の世界で生き抜くには、論理的な思考はとても大事。
そうじゃないと、教科書に書かれていることをなぞるだけの仕事になる。
セミナー講師が言っていた、どこそこの教科書に書いていた、○○の論文に書いていた。
そこで終わるんじゃなく、そこから考えて、否定したり肯定したりが大事なんだと思う。
ダブルスタンダードと、ケースバイケースを使い分けないといけない。