もの申す系は近づきがたい
先日同郷の友人に久しぶりに会ったら、Twitter等の私の発言のことをこう言っていました。
「しまちゃんの発信はネガティブというか、○○が悪いのに気付かないのはおかしい!何で分からないんだ!?みたいな刺激的な発信が多いよね」
と言われました。
ブログでも、Twitterでもそうだと思うけど、誰かが誰かを批判しているのって、見ていてあまり気持ちの良いものではない。
だから、もっと言い方とか伝え方とか変えたほうがいいんじゃない?ということでした。
はい、ごもっともです。
私自身自覚アリです。
facebookとかでも、もの申す系の投稿をしたときと、日常のたわいもない話をしたときでは、いいねのつき方が全然違います。
何かを批判したり、否定したりするときはいいねがつかなくなります。
ずーっと昔から、分かってはいるのです。
以前のブログで、同じ内容を取り上げていました。
敵なんか作らないほうがいい。
誰かの批判、否定なんかしないほうがいい。
好かれる人になりたい。
桃太郎は鬼退治をしたけど、鬼は本当に悪かったのだろうか?
鬼にも愛すべき家族とかいたのではないか?
話し合いでどうにかならなかったのか?
そんなことを桃太郎が考え始めたら、物語はどうなったのだろう。
長い歴史の中、色んな戦いがあり、色んな革命が起き、沢山の人が血を流してきた。
いつの時代も悪い人はいる。
どんな時代も平和に暮らす人もいる。
手首の痛みで困っている人を助けたい。
という私は、医学を否定せずに出来るのだろうか。。。
先日、Twitterで私のことを紹介してくれた人がいた。
その人はTwitterを始めてまだ半年ちょっとしか経っていない。
それなのに、フォロワーが6000人近くいる。
投稿は明るくて前向きで、面白い。
私は3年半くらいやってて、フォロワーは70人ちょっと。
投稿は、まじめで必死で、愚痴っぽい。
整体なんて、多くの人に知ってもらって人気になってなんぼなのに。
常識を覆そうとすると、いばらの道になるんですよね。
もっと明るく否定すればいいのかな?
私の施術自体は、ほぼマジックみたいに痛みが変化するから、施術だけをすれば楽しくいられる。
施術後、本当の意味で痛みが出なくなっていくように、ちゃんと効果を出そうとすると、細かくなっていくし、まじめなことが多くなる。
ちゃんと良くなるかどうかは、その人のその後の過ごし方とか、その人がどうするかにかかってるから。
人を変えようとするから、大変なんですよね。
ただのマジシャンになればいいのかな?
痛み取りゲームというノリにするとか?