心配されたい?
島本家は一般的な家庭と少し変わっていた。
それは大人になってから知ったことだけど、うちの母親はあまり心配しない人だった。
子供の頃、具合が悪そうにしていると、
「大丈夫?」
と母親に心配されたという人がほとんどだと思う。
けれど、島本家の母親は
「大丈夫?」
と聞かない人だった。
聞かなくても辛いときは言ってくるだろうし、本当にダメな時はダメな様子が見て分かるから。
聞いたところで、本当にダメかどうかは分からないから、必要あれば病院に連れて行くしかないですもんね。
そういう意味では非常に母親はドライでした。
だから、大人になって他の人の話を聞いたり、ニュースなどを見たりして、心配する親が大半だと知って、うちは変わってるんだなぁと。
心配することを愛情だと思っている人がいるんですよね。
でも、心配って時に厚かましい。
あれ持った?あれやった?準備した?
とか、とやかく心配されることは、その人のことを信用していないのです。
この人は自分できちんと出来る人だと思っていたら、そんな声掛けをするわけがないのです。
何かがあれば、自分で言ってこれるだろうというのは、『相手を尊重している』ということでもあるわけです。
こちらから声を掛けないと、この人は辛いことを表現できないのであれば、声掛けも必要でしょう。
でも、必要に応じて表現できる人であれば、そんなことをしなくてもいいのです。
そんな風に声掛けをされずに育っているので、過剰に心配をするとか私はしない。
干渉されないことは非常にありがたいのです。
中高生の頃も、母親に反抗した記憶がありません。
余計な心配を掛けられたことが無いから。
そんなわけで、私はあまり人に対しても心配をしない。
必要な情報は載せるようにしているし、必要あれば相談してくれるだろうと思っているから。
時にそんな私の態度は冷たいと思われることもあるかもしれない。
心配をするというのは、相手を弱い人扱いすることです。
自分で自分のことを主張も出来ない、守らないといけない人にすることです。
尊重をすると、過剰な声掛けはせずに、相談されたときに親身に対応するのです。
ん~、いいように書いたけど、これも人それぞれかもしれない。
ただ話を聞いてほしいだけの人もいるだろうし。
何も解決しなくても、大丈夫?って関心を寄せられることで、愛情を感じる人もいるのかもしれないし。
1人暮らしを18歳から始めたけど、要件もなく親から電話をもらったことは一度もない。
そんな訳なので、甘え方を知らないのかもしれない。
そして、甘やかし方も知らないのかもしれない。
人との距離感も。