死ぬことは怖いこと?
昔私は死ぬときはどんな感じなのか、考えました。
阪神大震災の時、小学6年生でした。
潰れた家に挟まれて出られなくなって、生き埋めになるというニュースを聞いて、どれほど辛いことなのか?と想像をしたのです。
そんな生き埋めになるくらいなら、一瞬でぺしゃんこになったほうがいいとも思いました。
そして今私はどう思うかと言うと、死ぬことはそんなに怖いことではないと思うのです。
なぜか?
死ぬときは、もうだめだと思うと魂が抜けるということを知ったというか、そうなんだろうなと思うからです。
人は強烈なストレスや恐怖を感じると意識を失うことがある。
交通事故の時とか、痛いという記憶がないという人が良くいます。
それは、ぶつかる直前の恐怖心で記憶を失うとか、衝撃で記憶を失うからだろうなと。
他にも、バンジージャンプを飛ぶと、気を失う人がいるのです。
YouTubeとかを見ていると、YouTuberが高所恐怖症なのに、カラダを張ってバンジージャンプをしたりするのですが、気を失っている人の動画をいくつか見ました。
飛び降り自殺をする人のことを考えたりしたこともありますが、飛んでしまえば、バンジージャンプも飛び降り自殺もある意味同じですよね。
恐怖心は飛ぶときに感じるもので、飛んでしまえばもうお終いと思ってしまえば気を失う。
気を失って地面に激突するのか、ゴムが伸びて宙ぶらりんの時に意識が戻るのかの違いです。
例えば身動きが取れない状態で、水がどんどん侵入してきて、自分の顔の高さまで水が増えた時、もうだめだと思えば気を失って溺死をする。
最後まで希望を捨てなかった人は、奇跡の生還をすることもある。
気を失って、意識が戻って助かったという人もいるし、気を失ってそのまま他界する人もいる。
病死とか老衰とか事故死とか、色んな死に方はあるけど、いずれにせよ逝くときは逝くし、逝かないときは逝かない。
あの時死んでもおかしくなかったよなと思う経験は、誰にでもあるかもしれない。
私もある。
そこで死ななかったのは、まだ生きていなさいと言うことだったのだなと。
そして、いつか時が来れば、この世の卒業の時が来る。
だから、その時まで一生懸命生きるしかない。
人を喜ばして、人に感謝したり感謝されたりしながら、魂を磨いていく。
何の役にも立てないという立場の人もいるかもしれない。
でも、そういう人は、感謝は出来る。
人は感謝されると、喜びを感じ、幸せになることが出来る。
何の役にも立てなくなるその日が来たら、せめて他人に感謝出来る自分でいたい。
今はまだ、自分は使命があると思うので、多くの人をどうやったら幸せに出来るのか、喜びの共有が出来るのか、チャレンジしていきたい。
怪我や痛みが克服できるということを、もっと多くの人が知れたら、多くの人が怪我や痛みの恐怖感から解放される。
これだけでも、私が生まれてきて、生きている意味があると思える。