人は完璧な存在にはなれない
私は昔から悩み深いタイプです。
自信満々タイプというより、もっとこうしたほうが良かったのではないか、あれも間違いだったのではないか?と自問自答を繰り返すタイプです。
要するに、自分は未熟、ダメだという自己肯定感の低いタイプです。
それゆえ、哲学的に思考することが多くなるのです。
悩み深いからこそ、心理学などにも関心を寄せるし、哲学的な勉強もするのです。
それで、分かったことは、人間は完璧にはなれないし、みんなに好かれるということも不可能という事。
例えば、整体の仕事をするうえで、悩んだことの1つ。
優しさとは何か?という事。
①相手の意見を否定することなく、話に耳を傾け続ける優しさもある。
②悩みの本質をとらえて、解決に向かえるように提案や助言をする優しさもある。
①の優しさは、どちらかというと女性的な、母性的な優しさ。
②の優しさは、男性的な、父性的な優しさです。
どっちも優しさだし、時と場合によって、どちらを求めるということも変わると思います。
しかし、同じ人間が、①の優しさと②の優しさをどちらも発揮するというのは難しいと思うのです。
というのも、この人はこういう人と言う印象もあるので、①の優しさを求めるときにはそういう人に相談すればいい。
②の優しさを求めるときにはそういう人に相談すればいい。
なのに、時によって①の対応をしたり②の対応をしたりコロコロ変わると、どっちの対応をされるか分からず困惑することがあるのではないかと。
多重人格のような。
だから、自分が両方の役割をしようとせずに、自分らしく相手と接していればいいんじゃないかなと。
馬鹿とハサミは使いようという言葉があるように、問題のある人でも使う側が上手く使えば何とかなるものです。
自分以外のなにものかになろうとすることで、無理が出て生きることも苦しくなると思うのです。
自分らしさというのも分からなくなることもあるでしょう。
私はエニアグラムというものを勉強して、なんとなく自分で納得して自分を受け入れられるようになりました。
私はタイプ4w5かなと思っています。
占いみたいなものというか、自己分析です。
人はいろんなタイプがいて、憧れたとしても違うタイプのようにはなれない。
自分らしく上手く輝けばいいという、諦めをしたことで楽になれたのです。
自分だけ、おかしいと思っていたのが、同じように悩む人もいると知れたのです。
みんなに好かれる必要もないし、自分以外になる必要もない。
自分らしく生きて、それで人に喜ばれる生き方が出来れば上等。
やりたいことをやって人が喜んでくれたらそれでいい。
やりたくないことはやらない。
男前で話も面白くて背も高くて、うらやましくてしょうがない福山雅治でも嫌いな人は嫌いなのです。
みんなに好かれようと、意見をコロコロ変える人は八方美人で、誰からも信用されなくなる。
だから、そんなことは気にする必要ないのです。