完璧な人はいないし嘘をつかない人もいない
私は人は完璧になれないし、ならなくていいと思っています。
そもそも、完璧な人と言う定義も難しいですよね。
例えば、素晴らしい人と言うイメージで考えた時。
多くの人に嫌われている人と、多くの人に好かれている人がいた場合、どちらが素晴らしい人か想像に難くないですよね。
人に好かれている人の方が、素晴らしい。
でも、すべての人に好かれることは不可能なのです。
アドラーの教えでもありますが、人からの評価を気にしていたら、幸せな人生は歩めません。
全ての人に好かれるということは不可能だから。
AさんとBさんが対立していて、どちらとも仲良くするということが出来なかったりもします。
Aさんと仲良くしたら、Bさんは口もきいてくれない、なんてこともある。
容姿端麗なだけで、やっかみを受けることもある。
素晴らしい人格者であれば、周りの人にストレスを与えることもある。
自分より仕事の出来ない人だらけだと、ストレスを感じるかもしれないけど、自分よりはるかに仕事の出来る人ばかりに囲まれて仕事をすることは物凄くストレスを感じます。
嘘をつかないというのも、良いことのように思われるけど、必ずしもそうとは限らない。
口先だけの同調だって、一種の嘘です。
本当は同意していないけど、話を丸く収めるために、そうだねと言った場合、後々揉め事になることもある。
こんな自分じゃダメだよね?みたいに自暴自棄になっている人を目の前にして、
「うん、ダメだと思う」
という人はあまりいないと思う。
これをいちいち嘘とは言わないのかもしれないけど、優しい嘘というのは存在すると思う。
「そんなことないよ」
ってね。
表ではいい顔していて、裏で悪口三昧の人は、表向きには良い人に思われることもある。
私はそういう人も何度も見てきた。
穏やかで怒らない人、すごいなと思っていたのに、去り際に物凄い不満をぶつけられた。
良い人だったんじゃなく、嫌だということを言えないだけのただの臆病な人だった。
人は完璧な人間になんかなれない。
苦しみ悲しみを感じても、誰にも愚痴らない。
そんな生き方をしていたら病気になってしまう。
時には愚痴ってもいいと思う。
でも、どうやったら愚痴らなくてもいいようになれるか、努力は必要だと思う。
人に優しく自分に厳しく、なんてそんな生き方は出来ない。
自分に優しくする人は人にも優しくなれる。
自分に厳しい人は人にも厳しくなりがち。
自分に優しく人に厳しい人は、人に嫌われて人生が困難になる。
自分に厳しく人に優しくをやっていると、苦しくなって病死するのではないかと私は思っている。
この世はバランスで出来ている。
優しくすることが人の為にならないこともある。
なんでも過ぎれば良くない。
良い人過ぎてもダメ。
悪い人過ぎてもダメ。
自分らしくいれば、それなりに幸せにそれなりに貢献できる。
私は嘘は大嫌いだけど、それでも時々は嘘をついていると思う。
嘘をつかないなんて言ったら、その責任で息苦しくなってしまう。
私は自分の精神衛生の為に、出来るだけ嘘をつきたくないだけ。