損してもいい
こんにちは、バリカンの設定を間違えてスキンヘッドに近いボウズになりました島本です。
いつも3ミリなのに、バリカンで刈ってらうちに1ミリになっていました。
しょうがないので、1ミリで統一しました。
受け入れてしまえば、なんでもオッケー。
損してもいい。
とはいえ誰しも損したくないと思いながら生きてるのではないかと思います。
少なくとも私は損したくないと思ってます。
心屋さんの講演会に行って、お土産でもらった携帯ストラップは、
「損してもいい」
でした。
これは損してもいいと思えるようになると、損しても大丈夫になるということらしいのです。
損したら大変なことになると思ってるから、損したくないのですが、損しても大丈夫だとすれば損することが怖くなくなるのです。
例えば、必ず当たる宝くじ。
掛け金は払わないといけないけど、必ず当たるなら掛け金を払うことは損なのだけど、必ず当たるなら喜んで払いますよね。
自分の人生に起こる現象は、全てその人に必要な環境らしいのです。
それを信じられるならば、損したと思えるような現象でもそれでもいいと思えるのです。
それがその後の人生にプラスになるのであればそれでいい。
だからある意味損してもいいというのは、自分の人生を信じられるかどうかなんじゃないかなと。
結果的に私にとって、「手首の痛み」は無くてはならないものでした。
今こうして手首の痛みで困ってる人の心強い味方になれたのですから。
「損してもいい」
を手首の小指側の痛みで言えば、悪化してもいいと思えるかどうか。
みんな悪化させたくないから、必死に固定したり安静にしたりします。
でも実際は痛くなるような動きを避けていては、治すことができないのです。(私の治し方は)
だから、一時的な悪化くらい受け入れてやる!というつもりでガンガン動かせる人は治りが早いのです。
悪化をさせないようにしている人は治りが悪いのです。
(私の施術を受けている人でなければ、私は責任を持てませんので悪しからず)
やりたいことをやっている人は、治る為なら悪化したり痛い思いくらい受け入れてやる!という気持ちがある。
でも、「やりたいこと」ではなく、「やらなきゃいけないこと」をやっている人は悪化はさせてはいけないと思ってる。
だから治りにくいのです。
「損してもいい」
って携帯のストラップにして、簡単に言葉にも出来るけど、なかなか深いなぁと思うのでした。