被害者意識について(閲覧注意)
整体の仕事をしていて、施術を受けに来た人に対して、
「この人治りたくないんだなぁ」
って思うことがあります。
疾病利得という言葉があります。
この言葉はとても誤解を与えやすいので、あまり私の言葉で説明したくありません(笑)
出来れば誰か他人様が書いたブログで勉強していただきたい類です。
でもとりあえず書きます。
疾病利得と言うのは、病気や怪我をすることで得をするということです。
例えば運動が苦手な子供が、運動会の日に体調が悪くなって(腹痛とか)運動会を休むことになるなど。
腹痛になることで運動会に行かずに済むので得をするわけです。
こういうのを聞くとズルイとか仮病と疑われたりするのですが、仮病じゃなくて実際に痛みが出るのです。
でも学校を休むことが決まったら、病院の診察を受ける頃にはもう痛くなくなっているなんてこともあるのです。
仮病を疑われていると誰しも不愉快ですよね。
だからこの疾病利得という言葉はあまり使うわけにはいかないのです。
医療関係者や治療家は特に。
ただ、本当に治したいのになんでこんなに長引くのだろうというときには、こういうことに意識を向けることが解決の糸口になることがあるのです。
そもそも疾病利得というのは、体が何かを拒絶している状態です。
つまり身体的に
「それはやりたくない」
とか
「もっと周りに優しくされたい」
などメッセージを持っているのです。
だから、治ったらやらなきゃいけないことがあって、それが嫌なら、それをやらなくてもいい環境にしてやればいいのです。
いわゆる「逃げるが勝ち」です。
嫌な会社に無理やり行っているうちに鬱になったとか。
鬱というのも疾病利得のように見られます。
でも、体が会社に行くのを拒否しているのなら、もうそんな会社辞めてしまった方がいいのです。
それを無理やり行かせたり、行かなきゃいけないという思考に縛られていると、自殺せざるを得なくなったり、そのまま命が持っていかれるような病気になったりするのです。
嫌なことに立ち向かうばかりが解決の方法じゃない。
病気や怪我を治して戦うことがいいこととは限らないのです。
やりたいならやる、やりたくないならやめる
その方がその人が輝けるのです。
適材適所になるためには不適切な場所にいる時には居辛さを感じる必要があるのです。
幸せな人はある意味「我慢が出来ない人」です。
我慢強いと嫌な環境に長く身を置いてしまうのです。
好きなことをしていても嫌なことはありますが、それでもやりたいから辛くてもやるのです。
嫌な出来事や辛いことが続くなら、
「それでもやるの?それでもやりたいの?」
体から問われているのです。
その環境を変えるのか、自分が変わる(頑張りすぎや我慢などをやめる)かしない限り痛み続けるのです。
ただ、病気や怪我をしたからやめろってことね!という早ガッテンしないでください。
色々なメッセージがありますので。
そもそも単純な体の使い方ってことも多々ありますから。
あの人のせいで…、あの時こんなことがあったから…。
これを自分が何かが出来ない・何かをやらない、免罪符にしてたら治りません。
治ったら免罪符がなくなっちゃうから。
だから、こんなのを免罪符にして、罪悪感から逃れるんじゃなくて、嫌な環境から逃げてしまえばいい。
自分を犠牲にして、かわいそうな人でい続けちゃいけない。
やさしくされたいなら自分の弱さを出さなきゃ。助けてって。
強がって、自分は間違ってない!って戦闘モードでいたら、周りはつられて戦闘モードになる。
自分が我慢すればいい、って悲劇のヒロインになれば、周りの人はこっちが悪いみたいになってイライラする。
いろんなケースがあるんだけど、自己犠牲はいろんな問題を生んでしまう。
そんなわけで、被害者意識の強い人は本当に治る道を選ばないし、治る為の苦労や努力は避けるのです。
そういう人はどんな有名なドクターや治療家のもとに行っても良くなりません。
たまたまその大元の原因が時間によって解決されたら、たまたま良くなるのみです。
自分の生き方を変えることは一大決心が必要です。
それに何かを変えて大変な思いをしても他人が責任を取ることはできません。
だから疾病利得のような言葉は簡単に言えないのです。
でも原因不明だったり、とても大変な思いをするときには、それだけ体が何かを訴えてる可能性が高いのです。