人は幸せになるために生きている
幸せが一番
こんにちは幸一と言います、島本です。
子供の頃なんとなく名前が好きじゃなかったです。
幸せ一回きりとか、自己卑下して言ってました。
「人は幸せになるために生きている」
きっと誰かの名言です。
で、その幸せっていうのが分からなくなってる人も多いですよね。
私もだんだん分かってきたつもりになってるけど、まだまだよく分かってないとこもある。
それでもアドラーの考え方の一つは、自分の生き方に大きく影響を与えてくれました。
「人の幸せは、人の役に立てる貢献感」
だということでした。
昔、私はよく疎外感を感じてました。
自分は誰からも必要とされていない。
自分は社会に必要とされていない。
自分のことを誰も理解しようとしてくれない。
自分の居場所がない。
そんなことを考えてたことがあります。
シャ乱Qの”いいわけ”という歌に
「僕がいなくなりゃ誰か泣くかな?
寝る前 たまに そんなバカなこととか
考えたりした」
っていう歌詞がありました。
青春時代は結構みんな考えることなのかもしれませんね。
アドラーは、人は自分が誰かに必要とされる、誰かの役に立てる、誰かを喜ばせられると、自分の居場所ができる。
というようなことを言っていたのです。
これが自分にはピーンときたんですよね。
自分が誰かといて、相手が笑ってくれてれば、そこは居心地がいいですよね。
自分がいるだけでその人が安心してくれるとか。
自分の居場所ってもともとあるんじゃなくて、自分らしくいて、それで人を喜ばせられるところが自分らしくいられる自分の居場所になるんです。
自分が暗く落ち込んでる時って、自分のことばかり考えてて、人のことなんて一つも考えてなかった。
うつ脱却のための本にも確かこんなこと書いてた。
うつの人は誰かを喜ばせることを、少しでもいいからやってみなさいと。(段階を踏んで、良くなってきたときにという話です)
たしかに人に喜ばれると嬉しい。
でもそこで、自己犠牲のもと、相手を喜ばせようとすると苦しくなる。
だから、自分を犠牲にすることなく、人を喜ばせたらいいんだ。
人を喜ばせて幸せになれるなら、みんながそんなこと考えて生きられたら、どれだけ素敵な世界だろうって思った。
だから私は私の幸せのために、私が出来る得意なことで社会に貢献しようと思って、今の仕事をしてるのです。
だから、言ってしまえば、私が幸せになるために、手首の痛みで悩んでる人の力になろうとしてます。
みんな手首の痛みを解消したら、、、
いや、解消しながら幸せになっていってほしいなと思います。
その人にしかできないことがある。