習慣が人を強くする
先日久しぶりのバドミントンのサークルに参加してきました。
そこのサークルは7~80代の高齢な方の多いサークルです。
しかし、先日は70代以上の方は1人しか来ていませんでした。
いつもならあと3人はいたはずなのに。
話を聞いてみると、他の方たちは体力が落ちてしまって、またバドミントンをする自信がないんではないか?とのことでした。
バドミントンが出来なくなってから4か月。
その間はバドミントンはおろか、近所の散歩ですら、危険だみたいな空気が流れていました。
出歩かない日々が続けば、足腰は弱ってしまうのです。
バドミントンを続けていた頃の、みんななら、もしコロナに罹患しても恐らく重症化はしなかったと思う。
右から左に走り回って、最後は飛び込んでダイビングレシーブをしてましたからね。
バターンってその人が倒れこんでも、誰も心配しない。
いつものことだから。
そんな姿をもしかしたら、これから見れないのだとしたら寂しい。
4か月のバドミントン自粛期間で、どれだけ衰えたのか、分からない。
でも、またやりたいと思って、少しずつ体力を戻していけば、まだ戻れると思う。
でも、本人がもうだめだと思ってしまっていたら、誰もそれをとがめることは出来ないし、本人がダメだと思ったら、もう戻らないと思う。
リハビリ等の仕事をしている人なら、実感できると思うけど、高齢者の場合、やる気がなくなってしまったら、出来ることもやらなくなるから、出来るようにもならない。
年を取って衰えるのは体力より先に気力。
ダメだと思えばダメになる。
若くてもそうだ。
まだいけると思っているうちは、頑張れるけど、もうだめだと思ったら力も出なくなる。(ダメだと思ったら力が出なくなった話)
身体は、生活習慣の結果です。
食べ物、運動、睡眠、生きがい。
30代で、だらしない体型の人もいるし、60代でもスマートで若々しい体型の人もいる。
42.195キロを走り切れない30代もゴロゴロいるけど、80代で走り切る人もいる。
男性だと85歳で4時間を切っている選手もいます。
女性の80代の世界記録保持者は、日本人の中野陽子さんで、4時間11分45だそうです。
ライフスタイルで体力は維持されるのに、強制的にライフスタイルを奪い取るのは人権侵害だと思うのです。
私が、手首を痛めた人に、スポーツや仕事、生きがいを失わないでと願うのは、そういう思いがあるからです。
本当にあきらめなければならない人もいるけれど、諦めなくていい人が諦めさせられているのは黙っていられない。
本人がやめるのは自由。
他人がやめさせるのは人権侵害。