他人を傷つける
人は他人の言葉で傷つくのではなく、すでに自分で傷つけてるところを、他人の言葉で(傷ついていることに)気づくのである。
とあるカウンセラーのブログを読んでて、こんなことが書いてあったのを見て、なるほど〜と感心した。
人に言われたから傷つくのではなく、自分で気にしていることを人に言われるから傷つくのだと。
例えば、最近太ってきたな、って気にしている人なら、
「丸くなったね」
と言う言葉で傷つくだろうけど、気にしてない人なら、
「そんなに昔はとんがってたかな?」
くらいにしか思わないかもしれない。
丸くなったと言う言葉は、太ってることを揶揄する言葉でもあるけど、ツンツンしてた人が穏やかになってきたことをいう場合もある。
太ってきてることを気にしてたら多分、そっちの意味としか受け取らない。(もちろん文脈で伝わるものではあるけど)
薄毛を気にしてる人が坊主にしてた場合、
「頭が涼しそう」
と言われたら、
「短くて涼しそう」
とは受け取らず、ハゲてることを馬鹿にされたと受け取ってしまうことでしょう。
自分がそれをダメだと思っていなければ、人に言われてもあまり気にならないもの。
私なんかだと、
「協調性がないね。」
と言われても、
「えぇ、思考停止して、みんなに合わせることが全てだと思いませんから。」
くらいに思って、傷ついたりしません。
「バカじゃないの?」って言われても、
「バカなところもあるし、そうじゃないところもある。だからなに?」
くらいに思うので傷つかない。
開き直りと言うと語弊があるけど、完璧な人間なんていないと思っているから、ダメな部分があって当たり前と思っています。
みんなそれぞれ長所と短所があるんだから、お互い補いあいながら生きればいいと思ってます。
人の短所も許せない人は、自分の短所を受け入れられない人ということなので、苦しい生き方をするんだろうなと。
ダメな自分を許せていないと、そのダメな部分を指摘されると傷つくのです。
あなたの言葉で傷ついた!
みたいに言う人は、その言葉を言われる前から気にしてるのです。
ある意味気にし過ぎの可能性もあるのです。
悪気あって相手がそう言ってるのかどうか、よく観察して、悪意をもって言ってるなと思ったら、そういう人とは付き合わないことですよね。
相手を変えることはできないから、そういう人は避けるのが吉。
自分で自分のことを否定して傷ついているから、人の言葉でさらに傷つくのです。
あの人にこんなことを言われた、あんなことも言われた、と相手を恨むよりも、気にしている自分を許してやると、相手への恨みも消えたりするのです。
相手を許すのではなく、自分をゆるす。
だらしないって言われて傷ついているのだとしたら、だらしない自分を許して、
「そういうところもあるよね。」
と受け入れてあげることで、
「だらしない人」
と言われても、
「うん、そういうとこもある、だからなに?」
と、開き直れるのです。
人は誰しも未熟。
未熟なまま生まれて、未熟なまま死んでいくのです。