視点の違いで見える世界は変わる
痛みを克服する前の私と、痛みを克服した後の私は、視点が大きく変わり、見える世界が大分変わりました。
痛みの取り方を知らないうちは、医学的常識に対して疑問は持っていても、否定しきれないところがありました。
それは違う!と言っても、では何が正しいの?となった時に、「こうです」という明確な答えは見えてはいなかったから。
今は、こういう痛みはこうすれば良くなるということが言えるようになったので、そのタイプの痛みに関しては、医学の常識を否定しやすくなりました。
医学常識を否定したいのではなく、否定しないと前へ進めないから。
最近お客さんに教えてもらって、チ。というアニメを見ました。
天動説を否定するつもりが無くても、地動説が正しいと唱えれば、天動説は否定することになる。
宗教を否定するつもりが無くても、天動説を元に宗教の教えが作られていれば、宗教の否定にもつながる。
知る前には見えなかった世界が、知ってしまうと見えるようになる。
痛みは諦めるしかないと思ったものが、諦めなくて良いと分かってしまう。
異端審問官に追われる主人公を見ながら、いつの時代も常識との戦いがあったのだなと思わされました。
常識と異なるものを、異端という目で見る人には伝わらないことも、しっかりと実体験をして筋肉のケアが出来るようになってくると、だんだんと痛みは克服できるものだと伝わっていく。
人間の身体の治癒力というものも、素晴らしいものだと思えるのです。
この世は、最低というには魅力的すぎる。
この言葉は、アニメのキャラの放った言葉ですが、人の身体というものは神秘的で、逞しいものです。
使えば使うほどボロボロになる、そんな風に思わされることの多い体ですが、そんなことはないのです。
使えば使うほどたくましくなり、なじんでいくのが身体です。
使わなくなると、もろくなり、コントロールが効かなくなるのが身体です。


