手術をした人
先日の一斉送信で、経過報告を受けた方の中に、手術を受けましたという人がいました。
結果的に、その方は手術をして手首の痛みから解放されていたので、手術が必要だったのだなと思ってはいます。
でも、話を聞くと、やっぱり悔しい気持ちも生まれるものです。
その方は、施術を行うと痛みがその場では軽減するけど、時間が経つと痛みは戻ってきて、自分でケアをしてもあまり良くならない、という経過をたどっていました。
最初予約を受ける段階で、自律神経系の痛みかもしれないと感じて、お断りしかけた人だったと記憶しています。
でも、結果的には私の施術が効くのだから、きちんとケアが出来たら良くなるのではないかという事で通ってもらったのです。
来るごとに、こうやったらどうかな?ここを気をつけたらどうかな?
と色々アドバイスもしながら、進んでいたつもりだったけど、力及ばず。
途中、私のカルテには、
「痛みが悪化するのが怖くて、動かさないようにしてしまう」
と記載されていました。
不安感が強い方だと感じながらケアをしていました。
で、その方は最終的には手術をして、半年のリハビリを頑張って今は痛くなくなったと。
LINEの文面での会話だけですが、話を聞くと、
「手術をする前、医師から、リハビリが大事だと言われた」
「週に3回のリハビリから始まって、徐々に、週に2回、最後の方は週に1回のリハビリだった」
とのことでした。
私の気持ちからすると、
「それだけの頻度で施術を受けてもらえたら、もしかしたら自己ケアは頑張らなくても良くなったかもしれない」
と思ってしまいました。
その方は施術所と家が少し遠かったというのもあって、週1か、二週間に1回しか受けられていませんでした。
一時、心折れて二ヶ月近く空いていたこともありました。
合計8回来て、諦めてしまったようでした。
私なりに考える私の敗因は、
「恐怖心を取りきることが出来なかった」
に尽きると思うのです。
少し遠いとはいえ、もっと短いスパンで来てもらったら、もしかしたら良くなっていっていると実感できたかもしれない。
その頃はまだ、4armstrongも取り入れていなかったので、自己ケアが効かなくても、もっと頑張ってとしか言えませんでした。
でも根底にある、「靱帯損傷している?!」という不安がぬぐえなかったのだと思います。
だから、動かしてと言われても、痛みが出るとそれ以上はやりたくなかったのだろうなと。
自己ケアは、”痛みがひどくなればなるほど、簡単”になります。
逆に”痛みが減ってくると、だんだん効きにくくなる”のです。
マシになってきたけど、まだ痛いという場合、悪化させて自分のケアが効いているという実感を持ってもらうことも必要なのですが、そのハードルを越えられませんでした。
手首が痛くなる趣味があれば、やりたい気持ちが勝って、悪化する恐怖を乗り越えやすいこともあります。
結局、もう手術をしたという安心感が、リハビリを前向きにさせたのかな?と。
私の施術を受けている頃は、
「でもまだ靱帯が切れているから痛いのかな?」
と不安がぬぐえなかったけど、手術が済んでいるのだから、もう手首は問題ないのだから、リハビリをやるしかないと。
保険の効くリハビリで、経済的な負担も少なかったのかな?と。
病院が遠くなかったのかな?と。
でも、私は思ってしまうのです。
「損傷している」
っていう不安を与えなかったら、もっとシンプルに良くなったんじゃないのか?
手術という儀式を行っただけで、結局筋肉のケアで良くしているんじゃないのか?
そんな風に思ってしまうのです。
でも、結果的に手術をして痛みがなくなったので、その人は満足しているのです。
私はその人の力になりきれなかった。負け犬の遠吠えなのです。
ただ言いたいのです、
「手首の靱帯が問題だったら、なぜ筋肉を触って痛みが変化したのですか?」
と。
不安感の強い人は、手術をしてリハビリをしたほうが救われるのかもしれない。
結果的に救われる人がいるのだから、手術だって必要なんだと。
でも悔しい気持ちになる。
その方は、やるだけのことはやってから手術をしたので、しまもと整体院に行ったことも無駄だと思っていない、というような内容のことを言ってくださいました。
やるだけのことはやってダメだったんだから、もう手術しかないという覚悟が決まった、という事なのでしょう。
何が正解か分からないけど、手術を選ぶ方がいい人もいるという事。
当たり前だけど、何を受けるかは他人が決めることではなく本人が決めること。
私に出来ることは、手術をせずに良くしたいという方に対して、いかに結果を出して行くか。
その場の効果は当たり前として、日常生活レベルでいかに痛みを克服してもらうか。
医学の世界の常識との戦い。
手術が要らないと謳う限り、専門医とは相容れない関係なのです。