無駄な努力はしちゃいけない
無駄な努力はしちゃいけないんだけど、これが難しい。
まず、人がやっていることを無駄という時点で失礼。
誰しも人は否定されることは嬉しいことではない。
「それ違います」「そんなんじゃダメです」
とか言った時点でご機嫌を損ねやすいですよね。
言い方よ。
っていうのもあるだろうし、
関係性じゃない?
っていうのもあるだろうし、
タイミングが重要。
っていうのもあると思う。
手首の痛みのケアの話で言うと、
「効かないケアでは、何回やろうが、何分やろうが無駄」
「無駄なばかりか、筋肉に負担を掛けるだけマイナス」
ということがある。
筋肉は外から刺激を受けると、その刺激に耐えられるようになろうとするので、筋肉が硬くなることがあるのです。
だから無駄な刺激を与えることで、ますます効きにくくなることもある。
でも、ケアは誰でも最初から上手くいくわけではないのだから、下手でもやりながらうまくなるしかない。
効かないケアをしつつ、だんだん上達するのであれば、無駄ではなかったということにもなる。
だから、何でもかんでも否定しているわけではない。
けど、早くコツをつかんでほしいから、施術をきちんと続けて受けに来て欲しいんですよね。
良いケアを受けることで、良いケアと上手くいかないケアの違いを感じて、修正していってほしい。
私もやりながら、アドバイスができるし。
無駄な努力でも、努力は努力だから、こんなにやっているのに!という気持ちが育っていく。
こんなにやっているのに良くならない、ってなるともっと強力な対策をしようとしてしまう。
手首の痛みで言えば、多くの場合手術に踏み切ろうとしてしまう。
こんなにケアをしているのに。
こんなに出来る限りの安静をしているのに。
こんなにいろんな治療を受けているのに。
こんなに…、だからもう手術しかない。
と。
努力したら報われると思うな。
とあるアーティストがYouTubeで言ってた。
努力して結果を出すんじゃなくて、どうやって結果を出すかが大事だと。
結果を出そうとすると、どうしても否定することが増えてしまう。
他の治療を受けている人とかに、
「やってもらっても効果を感じないなら無駄だと思います」
とか言えば、敵を作りますよね。
敵を作りたいんじゃないんだ。
ただその人を助けたいんだ。
今のコロナ禍、無駄な努力のオンパレード。
四六時中つけっぱなしのマスク。
多くのお店の営業自粛。
スポーツの大会の中止。
旅行や帰省の自粛。
コロナ禍で関連本も増えてしまった
茶番劇に気付いている人もわりと多いのかも。
無駄な努力をみんなしているから、みんなイライラしている。
こんなにやっているのに。
って。
そもそも無駄な努力だからやめたらいいのにと思っても、それを言えば非国民。
風邪を撲滅するなんて無理な話なんですよ。
型が変わりながら、ずっと残り続ける。
イタチごっこをしているって、なんでみんな気付かないのか。
専門家がテレビで言っていることを真に受けるから。
努力をしたら報われると思い込ませた専門家、マスコミの罪は重い。
が、そのことに大衆が気付かないから、罪を問われることもない。
人は努力したことは報われて欲しいと願うようになる。
その結果、無駄な努力と思いたくないから、より一層努力を続けることになる。
無駄な努力だと言われると不機嫌になる。
自分が努力していることを他人がやっていないと、許せない気持ちになる。
やめたら今までの努力が無駄になると思ってやめられなくなる。
どこかで一人一人が立ち止まって気付かないと、社会がいびつになる。
ワクチンの強制接種の流れは作られようとしている。
人々は十分に分断された。
手首の痛みで私が伝えたい思いと、コロナ禍でみんなが混乱する中、伝えたいことは似ているのです。
常識は疑え。
きちんと結果を評価しないといけない。
無駄な努力はしちゃいけない。
結果を出すことが大事。
出来ることと出来ないことがあるから、それを分けて考えないといけない。
人は必ず死ぬのだから、死者ゼロは不可能。
風邪でも人は死ぬのです。
嫌な言い方だけど、医学はいかに病院、薬、手術に頼ってもらうかを考えてます。
資本主義の社会で仕方がないのだけど。
健康になって、不安が無くなれば、医学は稼げなくなるのです。
病院に行かなくても大丈夫と思われたらいけないのです。
整体も同じ。
みんなが健康になって、不安もなくなれば整体はいらなくなるのです。
だから、整体が無いと不安になるようなことを言うのです。
私のように、良くなったら施術受けなくてもいいんですよ、と言う整体は稀です。
私も商売だけのことを考えたら、ケアのやり方を教えないほうがいいのです。
まぁこうやって、私の言っていることを信じない人に信じてもらえるようにあれこれ書くことも、無駄な努力なのかもしれない。