生きづらい人
夏目漱石の草枕という小説の冒頭。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
夏目漱石は生きづらさを感じていたのではないかなと思います。
私もこの冒頭の文字を見て、分かる!と共感します。
理屈でものを話せば人と衝突するし、かといって気持ちを大事にすれば流されるし、意固地になったら窮屈だし。
正しければ良い訳でもなく、優しければ良い訳でもなく、意志が強ければ良い訳でもない。
適当にやるしかない。
生きづらさを感じる人はたぶん沢山いることでしょう。
その生きづらさもまた人それぞれで。
いろいろと生きづらさを調べていたら、愛着障害というものを見かけた。
そして、愛着障害の中でも、夏目漱石は、恐れ・回避型というものだそうです。
そして、私も恐らくその傾向があるという気がします。
人間嫌いのように人との関わりを避ける傾向と、人との関わりを求めて不安になる傾向。
普通の人にとっては何でもないことでも、それが気になったり許せなかったり。
私自身、人間嫌いな傾向もあるし、人間が好きな傾向もある。
本当に人間が嫌いだったら、サービス業にはつかない。
相反するキャラクターが混在している。
優しさがある反面冷たさも同居している。
太宰治とか、夏目漱石とか、三島由紀夫とか波乱万丈な人生を送った人たちに共感することが多いのです。
普通の人と違った感性を持っていると、生きづらいんだなと。
普通の人はしょうがない、で済ますことが済ませない。
仕方がないとかしょうがないとか、そう思うと生きてることも嫌になる。
真剣に生きるのが嫌になったら、浮世離れした生き方をしたくもなる。
エニアグラムのタイプ4w5
尾崎豊とかも同じタイプ。
浮世離れした生き方をしたくなるというより、普通にしていても周りとなじめずないはぐれ者。
生きづらさを抱えたまま、何とか生きている人は沢山いるのかな。
多数派と少数派。
生きづらさを抱えるのは少数派。
少数派は虐げられる辛さを知っているから、弱者に対しては優しい。
その代わり、弱者を追い詰める多数派を憎む。
いじめなんかも、周りに合わせて適当に笑っているほうが、矛先はこっちに向かない。
でもそんなことをしたら、いじめをしている側と同じになる。
だから、断固戦う。
だから生きづらくなる。
多くの人は傍観者だ。