なんのためにやるのか
子供の頃、やらされる勉強が嫌いで、
「何のためにこんなことをしなきゃいけないのか」
と何度も自問自答していた。
当然答えなんか見つからなかった。
大人になって、幕末の物語を知るようになると、自然と興味が湧いてきて、吉田松陰の生きざまを知ることになった。
吉田松陰は短い生涯の中で、多くの人に刺激を与えた人だ。
「何のために学ぶのか?」
ということを常に問いかけたという。
学んだことを活かさなければ、学ぶ意味はない。
私は2006年にカイロプラクティックの学校に通い始めた。
カイロプラクティックを学ぶためだったけど、学ぶことはゴールではない。
それを学ぶことで、身体に何らかの不安を抱えている人を救いたかったから。
だから、人様の身体の痛みなどを解決するというのが学ぶ理由だった。
今自分は関節の痛みを取る方法を自ら編み出した。
学校で教わった、トリガーポイントセラピーがヒントになっているけど、学校で教わったことの中の一つ、「痛くなるような動きは避ける」というのは守っていない。
それどころか、痛くなるような動きを必ずするという方法を行っている。
学校で学んだことが使えるなら使う。
でも、学んだことをするよりも、その真逆をする方がお客さんの為になるなら、学んだことを捨てる必要がある。
国家資格であれば、学んだことに縛られたでしょう。
決まりがあるから。
でも、決まりを守ることよりも、結果を出すことの方が大事。
決まりを守って良くならないなら、決まりを変えるほうに動かないといけない。
私の場合、国家資格じゃないから、別に好きなようにやり方を変えられる。
問題は医療の世界。
医療の世界は、決まりを守らなければ、潰されるのです。
私は医療行為を行っていないけれど、症状で困っている人は、医療機関に通うことを勧められている。
だから、ネットの検索結果を削除されるのです。
医療と違うことを書いているから、デマ扱いされて。
身体の痛みが取れることは、患者さんからしたら幸せなこと。
それを医学の世界が阻害しているとしたら、医学は何のために存在しているのか。
何のために存在するのか、基本に立ち返って考えて欲しいなと思います。
人々の健康的な生活を守ることが出来なくなっているのなら、医療は無くなったほうがいいのではないかと思う。
本当に必要な医療は残して、改革を起こしたほうがいいと思う。