戦争反対
戦争反対。
私もそう思います。
この世から戦争なんか無くなればいいと思う。
でも、戦争反対と言って戦争が無くなることはないと思う。
考えてみて欲しい。
暴力反対とか、いじめ反対ってみんな思っていると思うけど、それを言ったら暴力を受けないのか?
中学・高校くらいの男だと、不良がいます。
不良に目をつけられたとしたら、暴力やいじめにあうかもしれない。
「なに見てんだこの野郎」
って言われたとして、「見てません」とか「暴力反対」とか言って、止めてもらえるか?という話。
因縁つけられた時点で、ほとんどアウト。
周りに人がいたら止めてくれるかもしれない。
周りに誰もいない、人通りのないところで言われたら、もうアウト。
ではそれを防ぐにはどうしたらいいか?と考えないといけない。
人通りのないところに行かないとか、そういうのも大事でしょう。
喧嘩を売られないために大事なことは、舐められないこと。
ガタイが良くて柔道部の主将みたいな人に喧嘩を売る人はそうはいない。
オドオドビクビクしない。
こいつに喧嘩をうったら後々面倒なことになりそう、という場合も喧嘩を売られない(売られる時は売られるけど)。
実際の戦争というのは、情報戦があり、経済戦があり、そこらでやられたら実効支配として軍事戦を仕掛けられる。
相手の情報が無い場合、簡単には戦いを仕掛けない。
相手の力量を見誤ったら、返り討ちにされるからだ。
そして、経済戦というのは戦力の一つですよね。
お金が大量にあれば、武器をどんどん投入できる。
そして、物資が沢山あるのか、少ないのかも大事。
それらを鑑みた結果、攻め込んで負けることはない、勝った時に手に入れるものが多いとなると、侵略されるのです。
戦争しません、と言って戦争が防げるなら簡単ですよね。
いじめ反対と言っていじめを防げるなら簡単。
戦争はしないというスタンスを持ちつつ、戦争を仕掛けられない強さを持たないといけない。
いじめをなくすためには、不満とかストレスとか、そういういじめをする人の心の闇を見つめないといけない。
そして、いじめというものは加害者側に、いじめをしているという認識すらないことも多い。
みんなが出来ることが出来ないからと言って、非難したりするのはいじめの一つ。
みんなと意見が違うからと言って、非難するのもいじめの一つ。
病気の人を非難したりするのも、いじめの一つなのです。
人々の防衛反応のひとつでもあるのだけど、知識がなくてそのような反応をするのです。
その知識を専門家が間違った方向に誘導して、偏見を生ませるきっかけになったりもしている。
知識とか情報とか、思考力というのを養っていかないと、いじめや戦争は無くならない。
哲学を持って、自己を大事にしていれば、他人の主張も大事にするということが分かる。
自分の主張を無抵抗になくした人は、自己主張の強い人に抵抗感を感じて、みんなで非難したりする。
それがいじめの本質だったりするのです。
日本の教育は、現在そういう風にされています。
一つの基準を押し付けて、一つの枠に当てはめて、そこから外れた人はダメな人と。
ダメな人なんだから、攻撃されるのは仕方がないという具合に。