屏風の虎
一休さんのトンチ話の一つに、屏風の虎の話があります。
一休さんの噂を聞きつけたお殿様が、屏風に描いてある虎が、夜になると出て来て悪さをするから捕まえて欲しいと頼むのです。
そこで一休さんは、縄を用意してもらって、準備万端にしたうえで、
「それでは虎を捕まえますので、屏風から追い出してください」
と言うのです。
すると、お殿様は、
「屏風から虎を追い出すなんて出来ない」
と白状してしまうのです。
現実に現れた虎であれば、何かしらの対策を取ることが出来るけど、現実にいない虎をどうこうすることは出来ないのです。
この話は、施術で痛みを取るときの話で例えることがあります。
私はこの動きが痛いというものであれば施術で改善することが出来るけれど、痛みが再現できない場合はお力になれないのです。
それは、痛いというのを嘘をついていると責めているのではないのです。
痛みの原理が違うから力になれないというだけ。
痛くて〇〇が出来ないと言うのに、それより負荷が強そうなことをやっても痛みが出ないのであれば、あれ?おかしいなということになるのです。
嘘を暴いてやるみたいな話ではなく、対処が出来る痛みかどうかの判断なのです。
でも、この対処が出来ない痛みの人が来ると、クレームのタネになるんですよね。
施術を受けに来てもらわないと、効くか効かないかの判断は出来ない。
それなのに、一回施術を受けて効果が無かったからと言って、クレームを書かれたりする。
期待を裏切ったとか、痛みを否定されたと感じて攻撃されるんですよね。
施術の効果が出なかった患者さんも辛いと思うけど、施術の効果が出ない患者さんが来ることは私も嫌なんです。
だから、出来るだけ判別出来るように記事を書いて注意を促しているのだけど、読まずに来る人もいる。
施術が効く人が来れば、ものすごく喜ばれるのに、同じ労力をかけても、まったく価値を感じてもらえないのですから。
むしろ効かない人には、あれこれ原因を探し回ったり、効かない理由とか、他の痛みの原理とかいろんな説明をしないといけない分、ものすごく疲弊する。
猫に小判、豚に真珠、馬の耳に念仏、暖簾に腕押し。
どんなに説明したところで、言い訳にしか聞こえない。
この動きが痛い。
が再現して、ここまでは平気、ここから先は痛いというのが明確な場合は施術の効果が出やすい。
スポーツなどで酷使すると痛みがひどくなるけど、しばらく安静にしていると痛みが少なくなる。
痛みが少なくなるけど、ある一定のところ以上は痛みがなくならない。
と言う人は施術が効きやすいのです。
効きそうな条件が一つあっても、他の条件がなかったりすると可能性が低くなる。
私は詐欺をしたくないし、騙されたと思われる人を減らしたい。
傷つく人も減らしたい。
でもそれ以上に私は、自分が傷つくのが嫌なのかもしれない。
効くケアなのに、効かない人に来られると、無価値感を感じてしまうから。
効く人を集めれば、有効率95%とか謳えるのに、効かない人に来られると、有効率70%まで落ちてしまうかもしれない。
でもいずれにしても、お互いに幸せなことはないので、やっぱり効果が出そうな人にだけ来てもらいたいですね。
痛みを出したくても出せないものは、屏風に描いた虎と同じ。
怖いかもしれないけど、その恐怖心は私にはどうしようもない。