当たり前に感謝をする
幸せと言うのは、ある状態を言うよりは、ある状態からある状態に変わった時に感じやすい。
例えば、月収が30万円の会社員の人がいたとする。
その人の月収が、来月から40万円になります、となれば幸せを感じると思う。
でも、月収40万円に慣れてしまうと、40万円もらえる幸せを感じなくなってしまう。
そして、もしその状態で来月から35万円と言われたら、不幸とすら感じてしまうことでしょう。
月収30の人からすれば、35万円になれば幸せのはず。
でも、40に慣れてしまったら、35万円は少なく感じる。
だから、年収1千万の人も慣れてしまったら、それほど幸せだと思えなくなる。
当たり前になってしまうと、感謝の気持ちがなくなってしまうんですよね。
感謝の言葉と言えば、「ありがとう」ですよね。
ありがとうの反対の言葉は何だと思いますか?
ここで聞くくらいだから、感謝の反対の言葉ということです。
「当たり前」なんです、「ありがとう」の反対は。
ありがとうは漢字で書くと、有難う。
ありにくいと、ありがたいはどちらも漢字にすると、有り難いです。
あって当たり前と言うのがその反対という事。
だから、当たり前になってしまうと感謝出来なくなってしまうんですよね。
昔から、何度も聞いて、頭に入れているのに、すぐ忘れてしまう。
痛みがあれば、痛みがなかったあの頃を幸せだと思う。
なのに、痛みがなくなれば、その状態を幸せだと感じることが出来なくなって、当たり前になる。
幸せだということを忘れるから、思い出させられるように、また苦労が与えられる。
私は施術をすると、患者さんの痛みが無くなるのを当たり前だと思ってしまう。
そうすると、痛みが無くならないのは、上手くケアが出来てないからと、ダメ出しのような展開になってしまう。
でも実際は、痛みを無くせることは奇跡のような技術。
当たり前なんかじゃないんですよね。
出来なくて当たり前、上手く出来たら良かったね、なんですよね。
前提を間違うから、上手くいかなくなる。
極力当たり前と思うのをやめて、有り難いと感謝したい。
来てくれてありがとう。
施術を受けて、痛みが減ったのを喜んでくれてありがとう。
難しい自己ケアなのに、頑張ってやってくれてありがとう。
難治性と言われている痛みを、完全に克服してくれてありがとう。
自分が得意なこと、出来ることは、当たり前と思ってしまいやすい。
自分がすごいんだ。
そして、相手の人は自分が出来ないことが出来るすごい人なんだ。
自分の得意で人の役に立って、自分の苦手で人に助けてもらう。
有難うと言う言葉を意識的に使って、幸せになりたい。
幸せと言うのは、変化で感じるかもしれないけど、忘れているだけで、今も沢山ある。
目が見えて幸せ。
美味しくご飯が食べられて幸せ。
交通機関が使えて幸せ。
幸せは気付くもの。
島本幸一の幸は幸せの幸。
人に言われて気付くものではなく、自分で気付かないと変われない。