手を放せ
子供が自転車の練習で、補助輪を外すときは勇気がいる。
よく親子で自転車の練習をしている風景を見たことがある。
「お父さん、ちゃんと押さえててよ」
などと子供が言いながら、押さえながらしばらく走って、頃合いを見て手を放すというやつ。
子供は押さえてくれていると思って漕いでいるけど、もうお父さんは押さえていない。
気が付いたら自分で走っていたという光景ですね。
最初はサポートが必要だけど、いつまでもサポートをしていたら、自分一人で乗れるようにはならない。
だから、手を離さないといけない。
怪我をするかもしれないけど、チャレンジしないと出来るようにはならない。
だから、心を鬼にして、挑戦させる。
この感覚、私は普段の施術の時にもよく思っています。
痛くなるような動きをしてください。
とか、手を使うと痛みが増すかもしれないけど、やってくださいと言うのです。
やってみないと、出来るかどうかは分からないから。
挑戦しないと自信はいつまでもつかないから。
ケアをしてもらっているから、良くなってきた。
と思っている限り、本当の意味では良くなっていないのです。
痛みが悪化しても、自分でやったケアで痛みが無くなる体験が必要なのです。
それが出来れば、痛くなりそうなことを怖がらずに出来るようになり、頻繁に動かすから出来るようになる。
お父さんがいないと自転車に乗れないのか、お父さんがいなくても自転車に乗れるのか。
勇気を出して、チャレンジをしないと、いつまでも不安なまま。
この扉の向こうには鬼がいると思えば、いつまで経っても扉を開けることが出来ない。
扉を開けても大丈夫を知るには、開けないといけない。
自由というのは、危険を受け入れた先にあるもの。
安心、安全に振りやすくなっている昨今の健康事情。
安心・安全に全振りしてしまったら、自由を制限されてしまう。
リスクを受け入れて、自由にならないと、生まれてきた意味がなくなってしまう。
死ななきゃいいんじゃない、生きなきゃいけない。
挑戦しないと、自信や勇気は手に入らない。
私はそのきっかけづくりをしているだけ。
自分でやる意識。
出来ないのならちゃんと出来るまで通う意識。