嫌なものは見ない
自然豊かな綺麗な風景に、捨てられた空き缶が一つ落ちていたとする。
そんな時、皆さんは綺麗な景色に見とれていられるでしょうか?
私は、たった一つの空き缶を見て嫌な気持ちになってしまう。
これってもったいないですよね。
私は全くもって修行がなってないので、99.9%綺麗な景色なのに、たった0.1%のごみのせいで清々しい気持ちを得られない。
それどころか誰がこんなゴミを捨てたんだ!って心の中で憤慨する。
これって、幸せじゃないかららしい。
イライラしてたり満たされたりしていないから、そっちに気を取られやすいらしい。
文章にするとどうしても意識することになるけど、その景色を前にしていれば空き缶にも気付かないかもしれない。
こうやって風景の写真を貼られたら、上記の話を聞いた後だとゴミ探してしまっていませんか?
ちょっとビニール袋と木の棒が落ちてるだけです。
そんなものを見るよりも、良い天気だなぁとか、穏やかな海だなぁとか、夕焼けのように空が染まっているなぁとか、そんな風に眺めたほうがいい気分ですよね。
ちなみにこの海は、私が生まれ育った松山の、近所の海です。
こんな話をなぜしようと思ったのか。
久しぶりにインスタでも開いて、TFCC損傷のことでも発信してみようか、と思い立ってTFCC損傷について検索したら、嫌なもの見たなと。
普段は見ないけど、同業の人の動画を見て、いい加減なことを言っていると感じて憤慨してしまったのです。
私は、今は手首以外も見るようにしているとはいえ、手首の痛み専門の整体でした。
専門でやるくらい、誰にも負けない技術を持っているつもりです。
そんな自分だからこそ、色んな人を見ていろんなケースを知り、適当なことは言えないと思って動画を作っていないのです。
「これをやって効かなかったら、TFCC損傷。」
だって。
何をいい加減なことを言ってるんだと。
その一言で何かを諦める人が出てきたらどうするんだよ。
素人が自分でちゃんと触れるとは限らないだろう。
そもそも、TFCC損傷って診断されたことが正しいとは限らないだろう…etc.
って、イライラした。
私はまじめだから深刻に考えすぎてるだけで、みんな適当にしか見てないのかもしれない。
だけど、
「これでダメだから、筋肉じゃないんだ」
「これで効かないから、病院の先生の言うようにTFCC損傷の手術を受けるしかないのか」
と思う人も出てくるかもしれない。
そう思うと、他人事だと思えずに、怒ってしまうのです。
だから、普段他の同業の人の動画は見ないのです。
私と同じようなことを言ってる動画も見かけました。
私が発信している内容を見れば、同じようなことを言うことは出来るでしょう。
似たようなことを言っていても、技術レベルや経験値は全然違うと思いますが、私を知らない患者さんはそんなことに気付く由もない。
無名な自分がただただ、ふがいない。
嫌な世界を見なければいいだけなのか。
嫌な世界を変えていくべきなのか。
理想と思う世界を創造していくべきなのか。
私の施術を受けた方は、多くの方が、
「こんなにすごい技術なのに、それを多くの人が受けられないのはもったいない」
「どうにかして広められないかな?」
と考えてくれます。
本来、こんなことを考えるのは私の仕事で、患者さんは考えなくてもいいんですけどね。
嫌なものを見なければ、嫌な気持ちにならなくていい。
知ったところで自分がどうすることも出来ないなら、知らないほうがいい。
でも、自分は何のために東京にわざわざ出て来たのか。
田舎大好きで、地元に帰りたいからと、この仕事を選んだはずなのに。
自分で出来ることは何なのか。
私の施術を受ければ、諦めなくていい人たちがいろんなことを諦めていく。
それも人生と言えばそれまでなのだろうけど、それを言ったらお終いな気がする。