やればできる
私は子供の頃、自分で自分のことを「やればできる子」だと思っていました。
わりと器用だったし、勉強もそんなにガリガリやらなくても、ある程度できる方でしたので。
でも、同時に「やらなきゃ出来ない」ということも知っていました。
やればできるけど、やりたいと思わないからやらない。
だからできない。
ということもあるのです。
例えば、あやとり。
やっていれば出来るようになるだろうけど、女子の遊びだと思っていたのでやらない。
とか。
そして、やろうと思うんだけど、モチベーションが続かなくて出来ないものもあるんですよね。
勉強とかがそれの最たるものですよね。
虫好きだったので、虫の図鑑はよく見てたので、虫博士と言われるくらい知識がありました。
でも、地理には興味が無かったので、地名とかあまり覚えていない方でした。
地名も覚えていたほうがいいなと思って、覚えようとするのだけど、昆虫の図鑑にかなわないのです。
で、覚えられないのだけど、地理の教科書見てないのだから覚えてないのも仕方がないと思ってました。
先日お客さんと会話の中で、開脚できるようになりたいのだけど、毎日やる習慣が無い。
やらなきゃと思っているけど出来ないという話をしました。
そしたら、
「えー、先生筋肉のケア毎日どころか、一日三回朝昼晩やりなさいって言うのに」
と突っこまれました。
はい、ごもっともです。
だから、結局は出来るようになりたい、とどのくらい思っているか?
というモチベーションが大事なんですよね。
人が頑張るモチベーションは、
やりたいからやる。(欲)ワクワク
やらなきゃ大変なことになるからやる。(恐怖)危機感
の大体どっちかなんですよね。
好きでやってることなら、努力するつもりなんかなくても、やっているうちに出来るようになる。
でも、「出来たほうがいいな」とか、「出来るようにならなきゃ」という、やりたい事ではなく、やらなきゃいけないというものだと、モチベーションの維持が大変なんです。
開脚が出来るようになることは、ワクワクもしないし、危機感もない。
開脚がここまで出来るようになったら、100万円とか、そういう明確なメリットがあればできる気がします。
でも、現状では私は開脚が出来るようになって、何か良いことがあるか?というと、キックボクシングでハイキックが蹴れるようになるとか、そのくらいしかないのです。
ハイキックが蹴れるようになったところで、何になるの?と考えてしまえば、何もならないのです。
だから、めんどくさくなって出来ないんですよね。
だから、何が言いたいかというと、やりたいことがあるというのは素晴らしい!ということ。
お年寄りでも、強いモチベーションを持っている人は、驚異的な回復をすることがあるけど、モチベーションが無ければ、回復をするためのリハビリとかも面倒くさくなって回復することなく、人生の幕を閉じていくことがあるのだろうなと。
介護施設で、施術を行った経験があるけど、そこに来ている人たちは、もうやりたい事とか諦めている人が大半なのです。
だから、この筋肉をケアをして、痛みを乗り越えていこうというモチベーションがなくなっているということに気付いたのです。
寝たきりになる人を減らしたいという気持ちで、施設に行ってみたものの、そこではもう遅いと私は思ったのです。
だから、趣味を諦めようとしている人に、趣味を諦めないでいてもらう方がいいと思って、今のようなやり方に移ったのです。
やりたいと思っているか。
出来ると思っているか。
どちらも足りなければ続かない。