役立たず
役立たずって人に言われると傷つきますよね。
言われなくても、思われるだけでも嫌だからみんな頑張ってる。
人の幸せの源泉は、社会に必要とされると感じることです。
アドラー心理学の考え方ですが、人が生きていて本当の幸せを感じられるのは、人に感謝されるとか、必要とされるとか、世の役に立っているという実感です。
物欲が満たされたときにも幸せは感じるのですが、一時のモノなんですよね。
欲しいものを買って幸せを感じても、時間が経てば他のものが欲しくなったり、新しいものが欲しくなったり。
もっといいもの、もっと高い物…。
物欲を追いかけてもきりがなく、常に不満がついてくる。
でも、人に感謝されたり、社会から必要とされていると思えると、もっと人を喜ばせたくなり、幸せになれる。
で、タイトルの「役立たず」ですが、自分が思われるのが嫌と言うのと、人に対して思ってしまうことがあると思います。
役立たずはダメだという思いがあるのと同時に、人に迷惑をかけてはいけないという思いもありますよね。
でも、役立たずと、人に迷惑を掛けるというのはある意味表裏一体。
迷惑を掛けるというのは、人の手を煩わせる、人に助けてもらうという事。
人に助けてもらうというのを、視点を変えると、相手を役に立たたせるという事。
人に頼られると、自分は人様のお役に立てると感じるのです。
自分のことを頼ってくる人は自分を役に立たせてくれるわけです。
その最たるものが、子供ですよね。
子供はお父さん、お母さんがいないと生きていけない。
だから、世話を焼いているうちは、子供が生きがいになる。
子供が巣立つと、空の巣症候群と言って、生きがいを無くして落ち込む人もいるくらい。
人の手を煩わせるのは、迷惑をかけてると思ってしまうかもしれないけど、見方を変えると相手に生きがいを与えているということなんです。
でも、素直に迷惑をかけることを良しと思えない人は、我慢している人なんです。
頼まれごとを断れない人は、頼まれることを迷惑だと感じるようになる。
だから、相手にこういう思いをさせたくないと思うと、人に頼めなくなる。
で、自分の限界まで頑張って、これ以上無理だと思ったタイミングで、誰かを頼って断られると、ものすごく傷ついてさらに人を頼れなくなる。
頼まれごとを無理に引き受けないようにすれば、人にも気軽にものを頼みやすくなったり、お願いしやすくなる。
誰かに断られたら、他の人に頼めばいい。
断られて困るほど限界まで頑張らなければいい。
人には得意不得意もあるし、その人の都合とかタイミングとかもある。
気軽に断って、気軽に頼む。
そして、助けてもらったらありがとうと笑顔で言う。
ありがとうって言われることが、人を幸せにするって言うのが、アドラーの考えなんですよね。
見返りを求めて優しくするのではなく、施すことを喜びとする。
相手を役立たずにするには、相手に何もお願いをしなければいい。
何もしてもらわない、何もさせない。
そうすれば、相手は見事な役立たずになる。
自分が必死に働いて、相手を役立たずにして、それで相手に対して怒っているとしたら、不幸な関係ですよね。
相手の得意なこと、相手が出来ることを任せて、やってもらってありがとうって言っていたら、お互いに幸せですよね。
自分が限界まで頑張ってしまうから、相手が何かをやってくれても感謝出来なくなるんですよね。
「こっちはこれだけやってるんだから、そのくらいやってくれて当然」
こういう関係性を築いてしまっている人、結構いる気がする。
沢山我慢すると、イライラしやすくもなる。
無理しない、頑張らない。
私は自分の得意なことで人の役に立とうとしてる。
嫌なことは出来るだけしない。
でも、やれば出来るから、やってしまうことも多い。
もっと人を頼ることをやっていきたい。
皆さん、自分が出来る人になろうとしすぎて、周りの人を役立たずにしてイライラしたりしてませんか?
自分はポンコツだって、受け入れてしまえば、人に対してもイライラしにくくなりますよ。
ポンコツな人って、気持ちに余裕があればかわいいものです。