人は分かり合えないもの
人の痛みは分からない。
人の心は分からない。
分からないのに、分かるという人がいる。
私はそういう人を嘘つきだと思って負の感情を感じる。
でも、嘘だと分かっていても、嬉しいという人もいるらしい。
中島みゆきの「空と君とのあいだには」の中に、こんな歌詞があります。
”君の心がわかると たやすく誓える男に なぜ女はついていくのだろう そして泣くのだろう”
子供の頃に聞いた音楽ですが、とても心に残っています。
私は子供の頃から多感な子供だったので、人の気持なんか分かるわけないと思っていました。
耳障りの良い言葉に敏感でした。
みんなと仲良くしましょうね、とか。
先生がそもそもみんなと仲良く出来てから言ってくれよと。
そんな訳なので、「あなたの気持ち、分かります」というのが、耳障りの良い言葉だと思っていました。
そして、そんな男についていく女性の気持ちも理解できませんでした。
思春期くらいになってくると、モテる男と、モテない男の違いも理解できるようになってきます。
そうすると益々、耳障りの良いことを言う男と、それに騙される女の構図が理解できなくなるのです。
嘘でもいいから味方でいて欲しいという女心なんでしょうかね。
事実か事実じゃないか、嘘か嘘じゃないかはどうでも良くて、理解しようとしてくれる気持ちが嬉しい?
私は真実を追求するのが好きなので、哲学的(真実はなんなのか?)な生き方をしてしまうのですが、女性はもっと感情的なんでしょうね。
そういう姿勢を見せてくれたらいいと。
結婚式の時に、「幸せにします、結婚してください。」
という誓いを立てるわけですが、現実には
「出来るだけ幸せにするよう努力します、結婚してください。」
までしか言えないよなと。
嘘でもいいから、そこは幸せにしますと言い切れよってことなんでしょうね。
しまもと整体院は、痛みを取るお手伝いをします。
とは言っても、
あなたのその痛み、私が解決します。
とは言わないのです。
力強く言い切らないのは、自信が無いからではなく、人の痛みは取るお手伝いは出来ても、痛みが取れるか取れないかはその人次第と思っているからです。
その人の生活に踏み込んで、支配的に関われるのであれば、もう少し確実性を持たせられるでしょうけれど、その人の生活には踏み込まないわけですから、良くなるかどうかはその人次第なのです。
治ると思ってもらえるよう、協力はするけど、治ると思うかどうかはその人が決めること。
相手を尊重しているつもりなのです。