人を弱らせるのは善意の優しさ
やさしくなりたい。
斉藤和義の歌のタイトルでもありますね。
やさしくなりたいと思う人はすでに優しい人なのだと思います。
でも、優しさって使い方を間違えると人をダメにするんですよね。
「子供を不幸にするいちばん確実な方法は、いつでも、なんでも手に入れられるようにしてやることである」
欲しがるものを与え続ければ、思い通りにいかないことに耐えられなくなり、我慢を覚えることが出来ず、自分で努力することが出来なくなり、与える喜びも知ることが出来なくなる。
上記の「」の言葉はフランスの思想家、ルソーの言葉です。
子供はそうだとして、大人はどうでしょうか?
大人も同じだと思うのです。
美味しいビールを飲みたいと思ったら、快適な環境で満腹の時に飲むよりも、過酷な環境で、大変な仕事を達成した後に飲んだ方がおいしいですよね。
幸せになるには、負荷が必要なのです。
生きる力を養うには、負荷が必要なのです。
高齢者の方を守るとか、高齢者に優しくするとか言うのですが、私はこれも注意が必要だと思います。
高齢者の人に優しくするというのをやりすぎると、高齢者が何もしなくても生活できるような環境を作ってしまいがちなのです。
食事の準備も後片付けも、ゴミ出しも何もかも家族がやってしまったら、やることが無くなる。
それどころか、足取りがおぼつかないからと言って、一人で出歩くのも禁止してしまうことも。
人は動かなくなったら動けなくなるもの。
動かなくなったら、痛みも出やすくなる。
人は皆、寝たきりになりたいとは思っていない。
早く介護してもらって、下の世話もしてもらいたいなんて思っている人はいない。
なのに、なぜ介護を必要としてしまう状態になるのか?
それは、動かなくなるから。
人も動物なので、動かないといけないのです。
でも、優しさから、動かなくてもいいように、周りがサポートしすぎたりするのです。
人をダメにする方法の一つが優しくすることなのです。
人に迷惑をかけてはいけないという考え方が日本人には強いように思います。
でも、考えようによっては、迷惑をかけるというのは、相手を幸せにする可能性があるのです。
何か人にお願い・頼みごとをしたとする。
人からのお願いや頼みごとは、頼りにされているという生きがいを与えることにもなるのです。
自分が好意を抱いている人がいて、その人が悩んでいる様子だったときに、その悩みを話してくれると、頼られたような気持ちがして嬉しかったりするのです。
その反対に、悩んでいるのに、自分には何も相談もしてこないし、頼み事もしてこないという場合、頼ってもらえない悲しさを感じるかもしれません。
優しくしすぎない優しさもある。
迷惑をかける気遣いもある。
高齢だから、動かなくていいよ。
というのは、相手を役立たずにしているのです。
出来ることをお願いすれば、高齢者の方も生きている喜びを感じることが出来るのです。
散歩をするだけでも気持ちいいものです。