人は自分の才能には気付かない
持って生まれたもの、言い換えると持って生まれた才能や素質。
これは努力でどうにかなるものでは無い。
だから、努力して手に入れたものでは無い。
そういうものに人は価値を感じない。
とはいうものの、それは自分が持って生まれたものに価値を感じないだけで、他人の素質や才能は大いに評価(嫉妬)するものです。
それに才能や素質があっても、それをしっかり生かさないと、本当に魅力的なものにはならないから。
自分の身体や顔など、持って生まれた才能ですよね。
身長の高いとか、整った顔とか、筋肉質とか色が白いとかがっしりしているとか。
私は足が細いと言われることがありますが、私はそれを言われても嬉しくはありません。
何も努力して手に入れたわけでもないし、なんならもっとししゃものようにぷくっとしたふくらはぎに憧れたりします。
つまりは基本的に人は無いモノねだりをするもの。
そして、才能は適材適所で活かしてこそ輝くものです。
例えば身体が小さくて軽い男性がいたとして、それそのものは一般的には喜ばしいことではないかもしれないけど、そういう人は競馬のジョッキーとか、競艇などで才能が活きたりする。
しゃべりの上手な人は目立って才能があると思われるけど、話を聞くというのも才能が無ければ出来ない。
まず、人の話を黙って聞くというのも、おしゃべりな人間には苦痛な時間だったりします。
でも、しゃべるのが苦手な人は、途中で話を遮らずに聞けたりします。
話したい人もいれば、聞くだけの方が楽な人もいる。
スポーツを見るのが好きな人もいれば、やるのが好きな人もいる。
自分にとって【普通の自分】の特徴は、適材適所に行きつけば、才能として輝けたりする。
ありのままの自分を出せば、流されるままに行き着くところがある。
自分を押し殺したり、誰かの真似をしたり、他人の評価を気にしたりしていたら、ありのままの自分で輝けるところには行けない。
自分の才能は過小評価しやすい。
自分にとっての当たり前や、短所が実は長所にもなる。
そういう視点も大事だと思う。
発想の転換。
私は頑固でまじめでお調子者で運動大好きです。
それらが積み重なって、私の強みを作りました。
頑固さが無ければ、
「お前はおかしい!」
と叱責されて、反省なんかしていたら、常識外れの施術方法を編み出して、磨き上げることなど出来なかったでしょう。
運動大好きだから、自分の身体を自在に動かすことが出来、施術方法が磨かれました。
お調子者だから、普通の人と違う発想が生まれるのです。
日本における大人は、「周りと調和して、自己主張しないこと」かもしれません。
『それっておかしくないですか?』
多くの人がそれで良しとしているものを、おかしいって声を上げることは茨の道です。
そういう価値観で自分を押し殺したら、常識外れの技術は生まれなかったのです。
自分の才能は、自分らしくいて、初めて周りとの違いに気付くのです。
自分では価値を感じなくても、周りから見れば十分うらやましかったりするのです。
でも、他人の才能を自分が真似なくてもいい。
自分の才能は他人が教えてくれるかもしれないし、他人と比較しているうちに自分で見つけるかもしれない。
最初はそれを短所だと思っているかもしれないけど、どこかで転じて長所になるかもしれない。
だから人生は面白い。
とにかく私はみんなに自分らしく生きて欲しい。
自分を押し殺して生きている人ほど、他人にも『正しい』と信じた生き方を押し付けるから。
自分が価値観を押し付けられたくないから、他人にも価値観は押し付けない。
自分らしく生きることは大変だから、自分らしく生きれない人がいるのは理解できる。
でも、だからと言って、自分らしく生きてる私が糾弾されるのは嫌だから、みんな自分らしく生きて欲しい。
みんなが自分らしい生き方を許せるようになったら、他人も許せるようになる。
弱さは受け入れたほうが楽。