弱者にやさしくは必ずしも正解とは限らない
弱者にやさしくするというのは一般的に求められる優しさです。
でも、やさしくする弊害というものは全く考慮されていないように思います。
困ってる人に手を差し伸べる。
弱っている人に優しくする。
お年寄りにはバリアフリー。
人は守られると弱くなるのです。
本当なら自分の力で乗り越えられるものも、誰かが手助けをすると、乗り越える力がつかなくなるのです。
お年寄りはもう若者と違って強くならないと思っている人がいるけど、人は何歳からでも強くなるのです。
本人がもうだめだと思えば、もちろん強くはなれません。
が、やれば出来るのに、周りが助けすぎたせいで、本人ができないと思い込んでしまうこともあるのです。
アルプスの少女ハイジというアニメがありましたね。
あのアニメの有名なセリフ覚えているでしょうか?
「クララのバカッ!何よ意気地なし!」
この言葉は、子供心ながらインパクトがありました。
車いすの少女に、そんな暴言のような言葉を言うなんてと。
でも、これも優しさなんですよね。
その気になれば出来るのに、出来ないと思い込んで助けてもらおうとし過ぎている。
勇気を出してチャレンジしないといけないのに、チャレンジしない。
ずっと優しくしていたら、きっとクララはダメになっていたことでしょう。
人は誰でも甘えの心がある。
そんな時に優しくしてくれる人ばかりだったら、ダメになるのです。
厳しすぎてもダメだけど、優しかったらOKではないのです。
とくに自分の身体を治す、身体を変えるという場合、甘えは禁物です。
出来ないと思えば、どんなに周りがフォローしてもダメなのです。
なんのためにやっているのか。
何かをやるのが目的になってしまう人が多い。
「筋肉のケアを朝昼晩やればいいんですね。」
よく言われますが、やればいいんじゃないんです。
痛みを無くすために、最低限朝昼晩やりましょう、なのです。
回数こなすのを目的にしたら、良くなりません。
しっかりいいケアが出来れば、一日一回でもいいかもしれません。
私の施術を毎日受ければ良くなると思います。
でも、多くの人は素人で上手に出来ない。
だから、上達するためにも頻繁にやってもらいたいのです。
私がそこで優しい言葉をかけて、
「無理しなくて良いですよ」
と言ったところで、良い結果はついてこない。
そうすると、「あの整体に通ったけど、良くならなかった」となるのです。
なんのためにやっているのか、目的を明確にして頑張ってほしいのです。
ハイジのように罵ることはさすがに出来ませんが、見せかけだけの優しさはしないようにしています。
リハビリには、クララにとってのハイジのような存在が必要なこともある