出来ることと出来ないこと
二ーバーの祈りという言葉があります。
このブログでも何度も書いてきた記憶があります。
変えられるものを変える勇気を
変えられないものを受け入れる冷静さを
そして両者を見分ける知恵を
というものです。
タイトルに書いた、出来ることと出来ないことというのも、変えられるものと、変えられないものというのと同じようなものですね。
人は変えられない。
自分は変えられる。
これが真実だから、整体をしている私からすると、患者さんを治すことは出来ないのです。
私に出来るのは、治るお手伝いなのです。
私は自分で自分の痛みを克服したのです。
だから、私の歴史を語ることが出来ます。
そして、沢山の患者さんが良くなっていくのをお手伝いしてきました。
だから、様々なケースを語ることが出来ます。
人を変えることが出来ないというのは、人の考え方を変えることが出来ないというのと同じかもしれません。
人の考えを変えることは出来ないけど、人の考え方を変えるきっかけを与えることは出来るのです。
良くなる、治ると信じることが出来る人は、治っていくのですが、信じられない間はその人は治らないのです。
私ははっきり言って、不器用な生き方をしています。
人に何かを教えられるような立派な生き方はしていません。
しかし、痛みを取ることに関しては、人が知らないことを経験しているので、教えることが出来ます。
教える=出来るようになるなら、人を変えることが出来ると言えるのでしょうけれど、そんなに簡単なことではないんですよね。
ボールを投げるという、シンプルな動きがありますが、これを出来ない人を出来るようにさせられるかと言うと、非常に難しいんですよね。
ヒントを教えたり、見本を見せたりは出来るけど、動かし方を教えるって出来ないんです。
人の身体は動かせない。
人の信じているものを変えることは出来ない。
治ると信じていない人が、治ることはない。
放っておいたら治るものは、放っておいても治るのです。
放っておいても治らないものは、身体の使い方を変えないと治らないのです。
私は施術を受ける人には、みんなに治ってもらいたい。
だけど、治るかどうかはその人次第。
だから、真剣に向き合ってもらわないと、始まらないんです。
他人の人生は、その人の責任なのです。
私はお手伝いをしたい。
世の中の常識がその人の治る力の邪魔をする。
自分で治すという、健康は自己責任という、根本的なスタート地点に立たないと始まらないのです。

