自分の課題と他人の課題(腰痛編)
勉強したアドラー心理学の中にとても分かりやすい一言がありました。
課題の分離をしましょうです。
どういうことかというと、自分の課題は自分で解決しないといけない。
でも他人の課題を解決するのはその当人がすることであって、
第三者がどうにかしようとしてはいけないということです。
何か物事がうまくいかないとき、他人の課題に足を踏み込んでいるということがあるのです。
よくある分かりやすい例えで言うと、子供の進路のことなどです。
親としてはこういうふうにした方がこの子が苦労しなくて済むと思ってアドバイス(強制?)したりする。
でも子供は自分の人生だから自分で決めたい。
でも親のお金で学校に行くから自分で決めさせろとハッキリは言えない。
…モメますよね。
「お母さん(お父さん)の言うとおりに進学したらこんな目にあった、責任取ってよ!」
なんて言われてもお母さんが責任取ること出来ないですよね。
子供の人生は子どもの責任です。
子供の行動すべてを管理なんてできませんし、するべきじゃない。
自分の課題と、自分以外の人の課題を、どっちの課題なのか、
分離することによって無駄な争いも避けることが出来るのです。
誰の課題か判断するコツは、その問題を放置して困るのが誰か?です。
それを考えるとおのずと誰の課題であるかはっきりするのです。
なのですが、人は助け合いながら生きています。
良かれと思ってが他人の課題に踏み込むことがあるのです。
特殊なことではなく、当たり前のようにあります。
腰痛に悩む人が整体を受けに来ました。
整体を受けるということは、その人の腰痛が良くなるかどうか、
整体師も関わりを持つということです。
治してあげたい。
身体のことだけで解決できるならいいのですが、
ライフスタイルの見直しが必要なものだったりします。
そうすると、患者さんは腰を治してくれたらそれでいいのに、
ライフスタイルに言及されるのは不快だ!と思う人もいます。
整体師としては身体は身体でケアをしながらも、解決に向けて共に進んでほしいと思います。
患者さんは身体は身体のケアだけで治して欲しいと思っています。
こういうケースうまくいかないですよね。
短期的に見れば施術をすれば楽になる。
長期的に見ればライフスタイルが変わらない限り腰痛がなくなることはない。
腰痛に悩んでいる渦中の人に伝えても、拒絶反応を示しやすいのかもしれません。
私は腰痛が少し落ち着いているときに読書療法をするのがいいのかなと思います。
今痛みを抱えていると、「でも、だって」が出るんじゃないかなと。
他人事として、「そういう腰痛ストーリーがあるんだー」
くらいに読んでみれば、スーッと入ってくるのかもしれませんね。
「人生を変える幸せの腰痛学校」 伊藤かよこ(著)
腰痛のための本というより、幸せに生きるためのヒントの本ですね。
他の症状でも同じように言えることが多々あるからです。
ハッキリ言ってしまえば、腰痛に悩む人が多ければ多いほど整体院は繁盛します。
あ、整形外科も整骨院も鍼灸院もマッサージ屋さんもですね。
腰痛は怖いものだよ、だけどうちに来れば大丈夫だからね。
って言っている方が病院も治療院も繁盛します。
腰痛の悩みは解決しない方が良いんです。
商売のためには。
整体に限らず、商売は不安があったほうが成り立ちやすいんです。
それなのに、なんでこの本を勧めているのか、感じ取ってほしいのです。
他人の課題に踏み込むなと言われても放っておくことはできない。
それで出来るのは伝えるところまでです。
受け取るかどうか本人が決めることです。
この本は帯のところに「どんな名医や専門家も、腰痛は治せない」と書いています。
それなのにこの本を治療家やお医者さんが勧めてくれていたりするのです。
私だけではなく。
本を読むだけで腰痛を治す。
みんな知ればいいのに