身体のケアは施術者任せにするものではない
東京の出張施術が終わりました。
今回もほぼほぼ満員御礼で終わりました。
今回の出張で初めて施術受けられた方は全員改善していました。
ただ一名の方は施術の途中で帰っていただきました。
①無連絡での10分以上の遅刻
②住所を最後まで記載しない
③言葉から伝わる不信感
どれもこれもその方の事情というのがあるのだとは思います。(遅れてしまったから早く施術をしてもらうために省いたなど)
しかし、どれも私には不信感が募ります。
私は私に出来ることをしますが、施術を受けられる方の協力なしには施術は行えません。
治せるもんなら治してみてよ。
という、どこか投げやりな印象を持ちました。
施術も、ある動きでは痛みの変化が出ませんでした。
しかし、また別の動きだと痛みの変化は出ていました。
変化は出ているのですが、
「押されたところが痛くてマヒして、手首の痛みは分からなくなっている」
と表現していました。
腕の押された余韻は残りますが、マヒするという表現になるほどの痛みではありません。
痛みの強弱はその患者さん自身がどれくらい動かすかですから。
手首の痛みが出なくなっているという受けとり方ではなく、マヒして分からないと表現するのです。
痛みが出ないことをマヒして分からないという表現にすれば、施術後の痛みはすべてマヒして分からないことになります。
せっかく効果が出ていてもそれを前向きな表現にしない人は、施術の効果が出ません。
出ませんではなく、出ていてもそれを出ていると受け取りません。
ご本人はそんなつもりが無くても、私はそれまでの不信感に加えてのことですので、やる気が無くなりました。
私のやる気なしに施術がうまくいくはずがありません。
私は、
「治したい・治りたい・治っていくと信じたい」患者さんの気持ちと、
「治してあげたい」という私のやる気がないと効果は出ないと思います。
なにも絶対治ると信じてなきゃダメとは言いません。
この症状は治りにくいとされているので半信半疑で構わないのです。
でも不信感を持って来るくらいなら、医学では治らないと完全に諦めを付けてから来てください。
5割痛みが取れた人でも、痛みが半減した!と思う人もいれば、
まだ5割も痛みが残っていると思う人もいます。
痛みの方に意識を向けて、まだ治っていないと思う人は治りにくいです。
痛みは数値化できるものではなく感覚的なものです。
痛みが無くなっていても、痛いんじゃないかと思えば痛く感じるほどです。
実際しばらくは施術をしましたが、その方は何も変化がないと言っていましたので、効果も出ないのです。
効果が出そうなのに出ません。
これまでも途中で施術を辞めようとしたことはありました。
もう施術やめましょうか?と声をかけたことがあるのです。
それはほとんどの場合、親に連れてこられた学生さんです。
自分の意思だけで動けないので、反抗心から素直になれないのだと思います。
私はどんな人でも治してあげようと思えるほど、人間が出来ていません。
私のことを崇めたり、敬ってもらわないとやらないというわけではありません。
ただ、私も患者さんもお互いに
「よろしくお願いします。」
という気持ちは大事だと思います。
私に限らないと思いますが、治療家のやる気をなくして患者さんの得はありません。
それはサービス業全般に言えると思います。
お互いがいい気分で過ごせるようにご協力いただけると幸いです。
そして、それがそのまま患者さんの症状が良くなることにつながります。