気にしーは良くない?
先日「気にしー」について書いたので、ついでの話。
気にしーは大阪弁らしいです。
愛媛でも普通に使ってた気がするんやけど。
気にしーって、まぁ一つの性格の要素です。
ネットで言葉を調べてたら、
「気にしーを治すにはどうしたらいいか?」
みたいに相談してる人がおりました。
昔の自分もこう思ってたな〜って懐かしくなりました。
36歳の私が思うに、気にしーは治りません!
し、治さなくていいと思うのです。
まぁ今でも、気にせんようになりたいなぁとか思うこともあるけど、無理やなと。
人っていろんな素質を持った人がおって、気にせん人は気にせんし、する人はする。
ある意味長所短所みたいなもんやろなと。
短所を無くそうとすると長所も無くなるらしい。
気にしーって、細かいことを気にするんだけど、良い表現すれば細かいことに気づけるということ。
世の中の人がみんな細かいこと気にしない世界になったら、まぁまぁ大変。
なんでもまぁえっかで済ましだす。
それに細かいかどうかって、その集合体の平均値みたいなもんやし。
自分は、小便した後手を洗わないおじさんが気になるけど、よその国に行けば手を洗う習慣すらないやろうし。
気にしない人が増えれば、当たり前に手を洗わなくなる。
そうなるのは個人的には嫌ですね。
昔は気にしてたことが、年取って気にならんなってくることもあるけど、気にしーな傾向はずっとある。
それを活かせばいいだけやし、気づいても
「まぁええか」
と思えればそうすればいいし、
「いやいやいかんやろ」
と思えば何か行動に移せばいい。
自分の長所も短所もそのまま魅力だと思えたら、それが一番最高の幸せ。
人がみんな個性があるから、ピタッと会う人に出会えたときの喜びは大きいものになる。
自分が得意なことが、誰かの苦手を補えたり。
だから、そのままでいい。
それをダメだという人がいても、その人がダメだと思ってるだけで、みんながダメだと思ってるわけではない。
なので、気にしーを気にしなくても良いんじゃないかなと。
もし変える必要があるとすれば、それで本人が困っているならば。
とか、それが起因して体調が悪いとかあれば変えていく必要もあるのかも。
だから、自分で良しとすることが出来たらいいのかなと。