損傷を気にしてほしくない理由
なんで私は損傷を気にしない方がいいと言うのか。
損傷を否定しなくても、筋肉のケアだけすれば良いじゃない。
って思うかもしれないけど、否定しないと始まらないんです。
なぜか?
損傷を否定しないと動かせないから。
人は思い込みだけで痛みを作り出すことがある。
もっと言うと、思い込みだけで人は死ぬようなことも起こりうるのです。
思い込みの力は強いから、損傷してると思えば痛みがなくならないんです。
ノーシーボという言葉があります。
プラシーボという言葉は聞いたことがある人もいるかもしれません。
プラシーボは、効くと信じて飲めば、薬効がなくても良い効果が現れることです。
ノーシーボはその反対です。
なんにも体に悪影響を及ぼさないものでも、体に悪いと信じて飲むと、具合が悪くなるのです。
薬で例えてますが、薬じゃなくても思い込みで、良い効果も悪い効果も現れるのです。
ノーシーボの実験では、
目隠し状態で、
「今から熱したアイロンを当てる」
と告げると、鉛筆を当てても、熱いと感じ、水ぶくれが出来たりすることも報告されています。
「ノーシーボ ブアメードの血」
で検索をすれば命を落とすと言う実験の話も見ることができます。
靭帯や軟骨が損傷していると思い込むことで、治るものすら治らなくなることもある。
痛みがより強くなることだって起こり得る。
損傷してると聞けば、動かすとき恐怖心が強くなりますよね。
お医者さんの言うことを疑わない、素直な人ほど影響を受けるのです。
靭帯や軟骨が原因だと思うことで、何か治すためにプラスにつながることはあるのか?
怖くなる、動かせなくなることはあっても、治る為にプラスになることはないと思います。
私はプラスになる考え方がでてきません。
どちらかといえば、
「損傷してるから安静にするしかない。」
「損傷があるから痛みがゼロになることはないから、こんなもんだと思って付き合っていくしかない。」
という諦めの為の方便に使われるだけじゃないかなと。
テレビのコマーシャルなどで、
「軟骨がすり減ると痛みが!」
とか見てるから、刷り込まれてるんですよね。
損傷が痛みの原因だと思ってる人は何にも悪くないんです。
普通に生活してたら、そう思うように仕組まれてるんですから。
ある方に質問されたことも皆さん気になることかもしれないので、次のブログに書いてみようと思います。
「靭帯や軟骨の損傷が原因なのに、動かしてて酷くなることはないの!?」