スンナ派シーヤ派
一時期前、マスクをめぐって、スンナ派シーヤ派という言葉がネットでにぎわっていました。
イスラム教の二大宗派みたいな響きで、日本語的にも対義語として使えるってすごいですよね。
すんな、しーや、ってちょっと関西弁っぽいですよね。
「するな」と「しろ」って言う、他人に対する言葉なので、実際のマスクをめぐる現場的には、
「マスクしーや!」派(シーヤ派)
と
「指図すんな」派(スンナ派)
だなと思いました。
私はスンナ派です。
結局ウイルス感染するには、それなりの条件と言うのがあるので、その条件を出来るだけ少なくするしか方法はないと思うのです。
そして、出来るだけと言うのが、ミソで、思考停止すると何でもかんでも禁止になるのです。
意味のある対策と、意味のない対策。
大声出したり、つばを飛ばすようなおしゃべりとかを近距離でやる場合、マスクもあったほうが良いと思います。
が、おしゃべりもしないで静かにいるなら、マスクは不要だと思うのです。
空気感染するって話になれば、医療用のマスクでなければ、マスクに感染予防効果はないはずです。
マスクの穴はウイルスよりはるかに大きい。
それに、マスクしていても呼吸の大半は、顔とマスクの隙間から出入りしています。
意味のある対策はするけど、意味のない対策は、意味ないよと言いたいのです。
これは整体の時の私のスタンスと同じ。
やって効果のあることは、やったほうがいいよと言うけど、やっても意味のないことは私はお勧めしないのです。
努力をすると、結果が出た時に、努力のおかげと思ってしまうけど、本当はその努力とは無関係に結果が出ていることもあるのです。
遠足の日に、晴れになってほしい子供が、てるてる坊主を作って、
「明日天気になーれ」
と祈っているのならともかく、
干ばつで困った村で雨乞いの儀式として、
「村の娘を神様のいけにえに、生き埋めにする」
みたいなことだったら止めたいですよね。
どこかの地域では、雨乞いとして、村の男が女装をして踊ると言うのもあったらしい。
このくらいなら、好きにしたらいいと思うけど、あなたもやりなさいよと言われたら、ちょっと引きますよね。
祭りごととしてみたら面白いかもしれないけど。
無駄な努力で、効いたと思い込むと、それがあたかも真実のように流布される。
誰かがそれは間違いだって言わないと、それが常識になってしまう。
肩こりは姿勢やゆがみが原因だって思っている人、多くないですか?
こういう思い込み、誰が間違いだって指摘するんですか?
歪みが良くならないと、腰痛・肩こりが治らない。と信じ込まされている。
姿勢が悪いのに、腰痛も肩こりもない人もいるのに。。。
旅行に行って楽しんでいる間は肩こりないけど、その間は歪みがなくなっているのかな?
その先に光がないなら、気づいた人は教えてあげたほうがいいと思うのです。
歪みを治せば肩こり腰痛が良くなる!って言っている整体の人が教えてくれると思いますか?
専門家は、それでご飯を食べる専門家です。
専門家が勘違いしていると、苦労するのは一般の人です。
大多数の専門家の意見を否定する専門家は、とても孤独で大変な思いをします。
少なくとも、他人に強要するなら、それ相応の根拠が必要。
無駄な努力、と思っている人に強要するなら、納得できる事実が必要。
専門家だからと言って真実を言っているとは限らない。