77年前の出来事
本日8/6は広島に原爆を落とされて、77年目になります。
ニュースなどで、取り上げられているのでしょうか。
原爆を落とされたことに関する情報も、教育の現場では歪められて教えられていると思います。
同じ過ちを繰り返さない。
という言葉をよく聞くけれど、日本ではなく落とした側の国の発言としては聞いた記憶がない。
落としたのはアメリカであって、日本ではない。
歴史は、戦勝国が都合のいいように捻じ曲げる。
負けても捻じ曲げるところもあるかもしれないけど。
戦争は出来る限りしないほうがいい。
みんな仲良くが出来るならその方がいい。
理想として、戦争をしない社会を目指しながら、今必要なことはきちんとやる。
出来ることと出来ないことを線引きする。
人の成熟度が上がれば、無駄な争いはしなくて良くなる。
でも、野蛮な人間であれば、人のものを奪おうとするのだから、それはそれとして対応しないといけない。
先日のブログで書いた二ーバーの祈り、
”神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。”
自分を変えることは出来るけれど、他人を変えることは容易ではない。
他人や他国がある以上、自分の理想で生きていても思うようにいかないことは出てくる。
対話で対処しなければいけないけど、対話をしようと相手もしてくれるとは限らない。
中高生の頃荒れた地域に住んでいれば、カツアゲなんかにあったりする。
カツアゲって最近では聞かないですよね。
カツアゲというのは、不良とかが街中とかで、脅したり暴力を振るったりしてお金を巻き上げることです。
喧嘩をしませんって言う顔をしていたら、カツアゲをされないなんてことはない。
どちらかといえば、弱そうとか、脅せば大人しく従いそうな人間がターゲットにされる。
間違ってもボブ・サップみたいなゴツイ人間が狙われることはないでしょう。
いくら弱そうでも、大人数に囲まれていれば狙われることはないでしょう。
戦争をしませんって言って、それだけで平和を守れると思っているのは、荒れた地域の学生が、喧嘩はしません、っていう顔で歩いているのと大差はないのです。
荒くれものの前では、こちらのスタンスは関係ないのです。
だから、力をつけたり、徒党を組んだりする必要があるのです。
カツアゲとか、おやじ狩りという言葉が死語になるくらい、日本は平和です。
平和になりすぎて、平和ボケをしている人が多いと思います。
戦争をするために力をつけるのではなく、戦争しなくてもいいように力をつける必要があるのです。
日本は、経済的にも弱くなってきたし、軍事力も相対的に弱くなってきた。
何よりも弱いのは、日本を守るという心だと思います。
先人が守って来てくれた日本を良くしたい。
日本が外国勢力に負けてはいけない、という日本への愛国心がなくなってしまっているのが一番の問題。
愛国心を持つことは、戦争をするということにはつながらない。
日本が大事という心を持つことで、他の国も自分たちの国を大事に思っていることが分かる。
そうやって、お互いがお互いの国を大事に思いやればいいと思うのです。
同じ過ちを犯さない。
という、反省の方向が間違ってしまわないように、国の歴史をきちんと学び直したいと思う。
大人になってから、世の中にはたくさんの嘘がちりばめられていることが分かった。
専門家が言うことも、マスメディアが言うことも嘘だらけ。
ネットも嘘だらけ。
色んな方向から情報を仕入れて、視野を広げていかないと、本質に気付けない。
日本に生まれてよかったと思えることが、77年前の戦争で亡くなった人たちにとって最大の供養になるのではないかと思います。
広島に落とされた原爆は、日本が悪かったのではなく、アメリカの戦争犯罪です。
民間人の虐殺は国際法違反で、戦争中でもやってはいけないことです。
アメリカがその罪に問われないのは戦勝国だからです。
歴史はその時の支配者が都合がいいように作るのです。