奇跡のバックホーム
最近ちょっと人生を振り返ったりしながら、地元松山を思い出すことがある。
そんな日々のなかでふと思い出して検索したもの。
「甲子園 奇跡のバックホーム」
インターネットで検索したら、そのことしか出てこない。
紛れもない奇跡のバックホーム。
甲子園という夢の舞台で、様々な条件が重なって起きた、奇跡としか言いようのない、バックホームがあったのです。
バックホームというのは、打者が犠牲フライを打った後、ランナーが三塁ベースを蹴って、ホームベースへ飛び込んで得点するのを阻止することです。
キャッチャーの手元に正確に送球しないといけないため、簡単には出来ないのです。
元メジャーリーガーのイチロー選手のバックホームは、レーザービームとして人気でしたね。
あれです。
メジャーリーガーのイチロー選手のレーザービームは芸術的でほれぼれします。
それに比べれば、高校生のバックホームは大したことはないのです。
が、甲子園の決勝の舞台で、延長戦にもつれ込んで、あの場面で!というのがドラマなのです。
上記のリンクなどを読んでもらったり、検索してもらったら何事かはよく分かると思います。
1996年の夏の甲子園。
私が中学生の時ですが、その中学校の卒業生が松商の野球部として出場していましたので、話題になっていました。
奇跡のバックホームを受けて、タッチアップした石丸選手が私の中学のOBでした。
みんな注目していた試合で、とても盛り上がったのを覚えています。
でも、大人になってこうして振り返ると、さらにドラマがあったことが分かります。
甲子園の決勝の舞台①
接戦の延長戦②
1アウト満塁の場面③
直前の選手交代④
甲子園の浜風⑤
ランナーは俊足⑥
強肩のライト⑦
完璧な送球⑧
取りこぼさずにタッチアウト⑨
その後の選手の苦悩⑩
多くの人の脳裏に焼き付いた、試合でした。
上記のリンクで描かれていますが、その後の苦悩と向き合って、経験を活かすことになったという話はとても感動的です。
筋書きのないドラマ。
知らない人は知らなかった、ドラマがあるのです。
過去の辛い経験、苦悩がのちに活きてくる。
「今はこんなに悲しくて 涙もかれ果てて もう二度と笑顔には なれそうもないけど
そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう」
なんだかこの物語を久しぶりに思い出して、検索したり動画をみたりしてたら、中島みゆきの時代という歌が浮かんできました。
自分が慰められたいのか、お客さんを慰めたいのか、よく分からない感情です。
痛みで思うように生きられなくなる何かがあっても、それも何かの意味がある。
きっと後から活きてくるから、悲観的に嘆かないで欲しい。
と今の自分に声かけたい。