人の痛みは分からない
先週キックボクシングのジムで、若い男の子と殴り合いをしてから胸の痛みが続いています島本です。
何をしていたかと言えば、打撃に強くなるためにお互いに腹を殴りあったり、胸を殴りあったりして、鍛えていたのです。
昔空手をしていた時も同様に、殴り合いをしていました。
まぁ格闘技の道場やジムではあるあるな、一般人からすると理解できない場面でしょう。
その時は最後にもらったやつ、ちょっと効いたなぁという程度だったのですが、翌日から痛みに気付きました。
呼吸をすると痛いとか、身体を動かす拍子に痛いとかです。
で、痛みを抱えているけど、その間誰かに「どうしたの?」と聞かれることはありませんでした。
痛そうにしていなければ、他人が人の痛みなんて気づくわけがないのです。
人は弱った時、弱っていることを周りに知ってもらいたいという意識が働くことがあります。
湿布をしたり、サポーターをつけたりしていれば、どうしたの?と言ってもらえる。
心配を掛けたくないという気持ちもあるけれど、心配されたいという気持ちもあったりする。
優しい言葉をかけてもらいたいという気持ちもある。
だから、痛みを感じた時何かしらのサインを出すのです。
もちろん隠したくても、隠せない痛みもありますよね。
捻挫をした後、普通に歩きたくても足を引きづってしまったり、腰が痛くてまともに歩けなくなったり。
痛そうにすることで、「どうしたの?」と聞かれる。
聞かれたら「これこれこうで」と言える。
言えると癒える。
特別理由もなく痛くなる、何がきっかけかもわからず痛くなる。
そんな時には誰かに言いたい何かがあるのかもしれません。
先日ネットサーフィンしていて見かけた記事です。
特別なきっかけもなく痛みが出るというのは、病的な痛みです。
普段やっていることなのに急に激痛になるとかも同じ。
慢性的に痛みが続いたりすると病名がつけられたりするのです。
病名がついていようがついていなかろうが、痛みは何かを言わせようとしているのかもしれません。
分かってほしい。
と思うかもしれないけど、言わなきゃ分からない。
愛があれば分かってくれるはず、とかそんなのない訳です。
サッシのいい人が色々察してくれたとしても、察することは出来ても分かることは出来ない。
だから、どう伝えるか真剣に考えたほうがいいのです。
自分が我慢すれば済むからと、自分を犠牲にしていると、病気になったり痛みが出たりして気付かされるのです。
私の胸の痛みは、恋煩いでもなければ、心筋炎でもなければ、狭心症でもない。
たちの悪い筋肉痛か、軽く肋骨にひびが入っているのかもしれない。
いずれにせよ、身体の治癒力が働いてくれるのを待つしかないかな。
自分の体の治癒力をきちんと信じているから大丈夫。