守りたいもの
守りたいものが増えると、人は弱くなる。
Mr.Childrenのヒーローという歌の歌詞でこんなものがある。
”例えば誰か一人の命と 引き換えに世界を救えるとして 僕は誰かが名乗り出るのを 待っているだけの男だ”
”愛すべきたくさんの人たちが 僕を臆病者に変えてしまったんだ”
というフレーズがある。
特定の誰かを守りたいと思ったら、命を投げ出すことが出来なくなる。
誰かの為に、まだ死ぬわけにはいかなくなる。
先日同業者の集まりに顔を出した。
そこで、コロナの話が出てきた。
「早く騒動を終わらせたいのなら、気付いた人が声を上げるべきじゃないのか?」
という発言に対して、
「世の中を変えたいなんて言う、大それたことを俺は考えない」
「そんなことよりも、家族を守って平和に暮らせたらそれでいいんだよ」
というようなことを言っている人がいた。
考えてみたら、今のこのご時世、まだコロナは危険なものだと思っている人が大半なのでしょう。(2割くらいは気付いた?)
そんな中、風邪やインフルエンザと同じような扱いにするべきだ!と声を上げれば商売にはマイナスになる。
もしかしたら、その一言を書いただけで、予約をキャンセルする人もいるかもしれない。
だから、家族を養っていかないといけない、スタッフを守らないといけないという立場になれば、出来るだけデリケートな話題は避けたいとなるのかもしれない。
私は、幸いなことに、スタッフもいない、家族もいない、守るべき地位も名誉も財産もほとんどない。
自分の信念に従って行動して、世間に受け入れられず、野垂れ死んでも困る人はいない。(悲しむ人くらいはいて欲しい)
だから、信念に従って行動できるんじゃないかと思いました。
自分がここで死ぬわけにはいけないと思えば、人と争わないで生き残るほうに舵を取るのでしょう。
以前ネットで見かけたことば
「革命は若者、ばか者、よそ者が起こす」
確かにそうだなぁと。
若者、ばか者、よそ者は既得権益がない、常識がない、空気読まない、などで常識を打ち破る力がある。
ん?そういえば自分はまだ全部に該当してるのではないか?と。
家族がいれば、守りに入ってしまう(若者にはない)
地位や名誉があれば、守りに入ってしまう(ばか者にあるわけない)
組織に迷惑が掛かると思えば、守りに入ってしまう(よそ者にはない)
無いものばかりだから出来ることもある。
無い今のうちにしか出来ないこともある。
私は現在39歳。
若者かと言われたら微妙な時期になってきた。
でも、守りに入らなければ、ばか者よそ者では居続けられる。
忖度によって、本当は言うべき立場の人が言えなくなっている。
言いたくても言えない人もいる。
だから、言えてしまう私は、そういう役回りなのかなと思う。
もともと医学の常識を敵に回しているから、私にとってはコロナで異を唱えるのも、手首の痛みに異を唱えるのも同じなのです。
みんな常識を信じたくなくて、しまもと整体院に来るのに、常識を否定している私を見て、危険な人だと思うのです。
常識を信じたまま、奇跡のような効果を期待するのは間違ってます。
今まで通りの対応で、今までと違う結果は来ないのです。
専門家の言うことを無視して、コロナを風邪やインフルエンザと同様のもののように対応する以外に方法はないのです。
新型インフルエンザ等感染症の扱いを、季節性インフルエンザと同様の5類相当にしないと、医療は崩壊するのです。
「コロナの5類相当への引き下げを行わない限り、日本は今の状況から抜け出せない」厚労省の元医系技官が訴え
一年以上前からずっと同じことを言い続けているのです。
私だけではなく、煽りの専門家以外の、視野の広い医師や研究者は声を上げているのです。