宗教戦争
私は無宗教です。
タイトルで言いたい宗教というのは、私が施術の際に思う、
「何を信じるか」
の話です。
①靱帯や軟骨が傷んでいる、どこかの組織が壊れて炎症が起きている。
と考えるのか、
②筋肉に硬結が出来て、その関連痛が関節に出ている。
と考えるのかで、結果が変わってくるのです。
医学の常識が、上記の①の考え方ですね。
私が提言しているのが②の考え方です。
その二つの考え方は、真逆の考え方なので、同時に信じることは出来ません。
①を信じれば、動かすな!につながり、②を信じるなら、動かさないと良くならない!となります。
私の施術は、ほとんどの人がその場で痛みの軽減を実感します。
しかし、その後きちんと良くなるかどうかは、何を信じるかで変わるのです。
②を信じれば、痛くなくなるまで動かす必要がある。
①を信じれば、痛くなくなるまで動かなさいようにする必要がある。
だから、①を信じて、動かさないようにした人は痛みが戻ってきたら動かせなくなるのです。
②を信じた人は、痛みが戻ってきたのだから、痛みがなくなるようにするために動かさないといけないのです。
もう私は何千人という手首痛の人に接してきて、その後の経過も見守ってきました。
ちゃんと良くなる人もいれば、ちょっと良くなって、そこから一進一退を繰り返す人もいる。
一進一退からさらに進んで、克服する人もいれば、そのままフェードアウトする人もいる。
だから、フェードアウトしそうな人も分かる。
一生懸命説明しても、宗教みたいなもので、何を信じるかの話になってしまうのです。
信じて変われば結果も変わるけど、信念が変わらずに結果が変わることはないのです。
ずーっとそれの繰り返しです。
だから、私は心の奥底で医学の世界を憎んでいるのです。
構造の問題が痛みの問題だと説明するから、良くなる人も良くならなくなる。
椎間板ヘルニアや、脊柱管狭窄症、分離症すべり症など、腰痛にまつわる構造の病名は沢山ある。
それらが痛みとはあまり関連していないということが分かっていながら、ほとんど周知されていない。
常識となっているから、ちょっとやそっとの説明では変わらない。
施術で痛みが激変したら、それで宗派替えをしてくれる人もいるけど、激変しても痛みが戻れば、宗派替えしようとしたけどやめてしまう人もいる。
痛みが無くなれば宗派替えするよ、と人は言うけど、宗派替えをしないと痛みは無くならない。
洗脳し続ける医学への怒りと、宗派替えを説得できない己の無力さ。
お客さんは何も悪くないのです。
お客さんが何を信じるかは、お客さんの自由なのですから。
私の目は怒りと悲しみと虚しさを増していくのです。
1人でも多く、説得できるように、伝え方と技術を磨くしかないのです。
「ゼンメルワイスの悲劇」というものを読んで、ゼンメルワイスの無念を我が事のように感じます。
ガリレオ・ガリレイも時の権力者によって、迫害されましたね。
その両者とは比べ物にならない、大したことのない私ですが、感じる無念は同じです。
まだ私は死んでいない。
死ぬまで私の戦いは続くのです。