効果が無くてもやるのか
効果が無いと分かっているモノを提供するのはいかがなものか?
という話を前回のブログで書いていて、浮かんできたのは、そう、今の感染症のこと。
効果が無いことをやり続けるのはいかがなものか?
目標を掲げているが、不可能な目標に向かって努力させるのはいかがなものか?
某感染症の専門家が、コロナの収束について、「完全に息の根を止めたい」という発言をしたそうです。
要するに完全に撲滅したいということでしょうね。
これは、科学的に不可能なことです。
コロナ対策がまったく悪影響が無いのなら、続けてもいいのでしょうけど、得をする人たちと、わりを食う人たちが大きく割れています。
感染症の専門家は、コロナ禍が続けば補助金や研究費、製薬会社からの報酬等、どんどんお金が入ります。
しかし、子供たちや多くの人たちは、やりたいことも出来ず、仕事もままならず、お年寄りも苦しみ続けています。
介護施設等で面会謝絶とか、お年寄りがかわいそうです。
不可能なことを不可能と言わず、対策頑張ってます!というふりをするのは、私は優しさだと思えないのです。
感染症の専門家が、コロナを怖いものとして世論を作りましたしね。
分かっている人が分かっていない人を欺き続けるのは許せない。
恐怖を煽っておきながら恐怖を感じている人に寄り添うのは、寄り添うとは言わない。
コロナ禍の当初から私は、ワクチン利権のための騒動だと思っていました。
が、確証はなかったので言えない部分も多かった。
でも今は、気付いている人も増えてきたし、明確に結果も出てきて、確証を持って言えるようになってきた。
でも、その結果というものがメディアやネットも検閲が入っていて、多くの人は知らない。
陰謀論のように言われてきたけど、現実としてワクチンを打たせるための作られたパンデミックだったというのは、分かる人はもう分かるのではないでしょうか?
などという記事を書いてきました。
ワクチンはほとんど強制に近いものになりました。
変異をするたびに効かなくなる、そしてそのたびに追加で接種を迫られる。
毎年必要という論調にもう少しでなるでしょう。
二回打てば、終わると思っていた人が大半でしょう。
終わりませんでした。
三回打てば終わると言われていますが、終わるわけがありません。
騒ぐのをやめるかやめないかです。
日本以外の国は、気付いた人たちが声を上げて動き始めるので、コロナ対策をやめてコロナと付き合っていくという流れに変わっていっています。
最初から、感染症は撲滅することは出来ない、共存していくしかないと分かっていたのです。
無駄な対策は、私はやめて欲しい。
そして、対策にはマイナスの側面があることも知ってほしい。
無駄なだけではなく毒になっている。
未知のウイルスとされていたけど、本当の専門家は分かっていたのです。
本当の専門家は感染症の専門家ではなく、ウイルス学の専門家です。
ウイルス学の専門家は、大学などで研究しています。
その大学の研究費の多くは、製薬会社などの企業から得ています。
国からの研究費も、話題になれば増えます。
そんな研究をしている専門家が、国や製薬会社のお金儲けの邪魔になるような情報が発信できるでしょうか?
大半の専門家はだんまりを決め込みました。
そして、声を上げる専門家は叩き潰されてきたのです。
仕方がないよね、という論調はメディアが誘導しているだけで、仕方なくないのです。
騒ぐのをやめれば、コロナ禍は収束するのです。
コロナが落ち着いたら○○したいね。
落ち着くかどうかは本人がきちんと情報を集めて、理解するかどうかです。
分かっている人は、騒動の始まりからずーっと、Withコロナです。
無理やり騒動に付き合わされているだけです。
ワクチンがあっても薬があってもインフルエンザは撲滅出来ないし、亡くなる人は亡くなる。
新型コロナも同じ。
人は必ず死ぬもの。
最後の一押しになるのは、癌なのか、誤嚥性肺炎なのか、風邪をこじらせた末の肺炎なのか。
コロナで亡くなることだけは避けなければならない理由はどこにもない。
むしろ病気を恐れて、引きこもるより、元気に人と関わって活動したほうがいいのです。