人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか
なんだかメッセージ性の強い本ですよね。
この本は、私が色々勉強させてもらっている、在宅医の森田洋之先生の本です。
この本は、死生観を問う本です。
帯にもあるのですが、
「生きるとは 呼吸することではない。行動することだ。 ルソー」
生きるとは何なのか?を問う本です。
整体は医療ではないので、人の生き死にに関わることはありません。
しかし、生きがいには関わるのです。
人は元気な間は、死について考えることは少ないかもしれません。
でも死が近づいてから考えたのでは遅いことでもあるのです。
どんな死を迎えたいのかを考えることは、どう生きるのかを考えることなのです。
森田先生は、医師であるため人の最期の場面に出くわすことが多い。
そして、どんな死を迎えたいのか話さなければいけない立場でもあるのです。
死が近づいてきたときに、さらに死を遠ざけるのか、来るべき時が来たらそれを受け入れて、それまで自分らしく生きるのか。
死なないようにを突き詰めると、家畜のような管理下で生きることになるのです。
高齢になって、足腰が弱ってくると、転倒して怪我をさせないようにするには、なるべく歩かないようにしようとする。
車いすで移動すれば転倒は防げますよね。
そうこうしていると足腰がさらに弱って歩けなくなる。
誤嚥性肺炎を防ごうとすると、食べることを控えたほうが安全なので、胃ろうという胃に直接食べ物を送り込む装置を作るほうが安全になる。
出歩かなくなると認知機能が低下したりして、胃ろうのパイプとか引き抜こうとすると危ないので、手にミトンという手袋のようなものをつけて、モノをつかめなくする。
ベッドから出歩かないように縛りつける。
これらは高齢者介護施設の風景なのです。
介護施設とは言いますが、高齢者収容所のようです。
誰もそのような環境になりたいとは願わないはずです。
でも現場ではそう言うことが起こっている。
それをどうにかしないといけないと考えた時、大事になってくるのは死生観なのです。
尊厳のある死を求めるなら、安心安全に全振りしてはけないのです。
人が生活をし、行動をする限りリスクはつきものです。
手首を痛めた人はスポーツを禁止されたりする。
ゴルフをすると手首が痛いと病院で訴えれば、「ゴルフをしなければいい」と言われる。
日常生活に支障がない、けどクライミングをすると痛いと言えば、「クライミングをやめたらいい」と言われる。
それって解決ですか?
生きるって、そう言うことですか?
医師法の第一条にこのように掛かれている。
第一条 医師は、医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする。
国民の命を守るではなく、国民の健康な生活を確保するとあるのです。
生活を守るということです。
命を守るというのなら、身体拘束をして、食べ物もチューブで流し込めば理論上リスクが少ないのです。
家畜のように、管理された生き方を望みますか?
海外ではコロナ以前の生活が戻りつつあります。
いま日本が明らかに海外に遅れを取っているのは、リスクを許容するという死生観が無いからです。
「早くコロナが終わったらいいのにね。」
色んな所で言われることです。
違うんです、終わらせる気がない人たちが手を替え品を替え恐怖を煽っているんです。
そしてそれを盲目的に信じてしまう素直な国民だから、終わらないのです。
人と人が素顔で笑顔で関われる社会になってほしい。
人は病気になって死ぬことよりも、孤独で孤立するほうが辛いのです。
この「人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?」
という書籍は一般の本屋さんでは買えません。
Amazonで購入することは出来ます。
買って読んでいただきたいですが、ご希望の方にはお貸出しもしますので、興味のある方は読んでみてください。