政治と宗教と哲学
日本人が苦手とするもの。
政治と宗教と哲学。
日本では政治や宗教の話題はしないほうがいいと言われてきた。
ビジネスの場での話だったはずが、どんな場面でもしないようになっている。
大人になってから知り合った人とかで政治や宗教の話はしたことがないくらい。
これって、日本人の弱体化に一役買っているのだと思う。
政治の話をすることが無いから、政治に対する無関心が加速している。
無関心な人が増えたほうが、組織票の力が強くなる。
その結果、政治を好きなようにコントロールしやすくなる。
そして、どこに入れても同じ、というあきらめの境地が、日本人の共通認識になってしまっている。
そして、日本人は議論が苦手。
議論をするのは、喧嘩をすることとは違う。
自分の考えを相手に伝える。
相手の考えを正しく理解する。
場合によっては、決め事をする場合などは、意見を戦わせる必要もある。
方針を決める場合などは。
でも、自分はこう思う、だけで済む場合は、自分の意見を正しく伝えられたらいいだけなのに、自分の意見が言えない。
自分の意見を言いたいなら、相手の意見も尊重する必要がある。
自分と他人は違うということは悪いことではない。
みんな意見が違ってもいい。
でも、意見の違う人が多い中、同じ意見の人と出会うと嬉しくなる。
意見を言うというのはある種、本音を言うということでもある。
幕末の武士の話などを読んだりすると、今の日本人の意志薄弱さを痛感する。
戦後のGHQによって、教育が歪められて、思考することが苦手になってしまったのではないか。
勉強=暗記のようになっている。
暗記でなければ、計算くらいしかない。
思考して、それを人に伝えるというのがみんな下手。
私は昔から、マイノリティだった。
だから、人一倍思考した。
悩みもしたし苦しみもした。
多くの人が、「仕方がない」で済ますところを、済まさないように生きてきた。
だから、今でも苦しみは続くけど、自分の意見を持っている。
宗教と哲学は違うけど、自分の信念に通じるところがある。
今一度、人生観を個々人が見つめ直さないといけないのではないかと思う。
吉田松陰の言葉で有名なものがある。
「何のために生きるのか?」
学ぶことも行動することも、目的がある。
目的をハッキリさせないと、無駄なことがたくさんある。
ただ惰性でやっていること、周りがやっているからやっていること。
1人1人が、何のために生きるのかをはっきりさせていれば、もっと多くの人が幸せに生きることが出来る社会を作れるはずです。
政治も遠い世界の話ではなく、自分たちのこととしてとらえないといけない。
無関心でいたら、日本は無くなってしまう。