中途半端にしかなれない
自分って中途半端だなぁって昔からよく思います。
子供の頃からスポーツはわりと出来たのだけど、誰にも誇れるほどとびぬけたものはなかった。
走るのも速いけど、もっと速い子もいる。
縄跳びは学年で一番だったけど、松山市で4位だった。(3位までならメダルがもらえた)
なにをやらせてもまぁまぁ出来るけど、極めたものが何もない。
それが自分にとっては不満だった。
そして、その思いは今も続いてる。
バドミントンもそこそこ、キックボクシングも経験者風。
だけど、みんながびっくりするような成績は残せない。
で、そこでふと思った。
みんなが認めるすごい人ってなんだろうって。
バドミントンが市内で一番強くなったとしても、県内では一位になれるとは限らない。
県内一位になれたとしても、関東で一位になれるか別物。
関東一位でも日本一位かは分からない。
日本のトップでも、世界では勝てないかもしれない。
どこまでも上がいる。
そして、今大会の一位も次の大会では勝てないかも。
日本にいれば日本の一位は胸を張れると思うのだけど、組み合わせでケチをつけられるかもしれない。
日本一になっても、その競技を知らない人は、誰?ってなる。
私のお店に施術を受けに来る人が、何かの競技の日本代表だったりする。
でも、それはその話を聞くまで知らなかったりする。
目の前にいる人が実はすごい人かもしれない。
凄い人であっても、それを知らなければただの人。
認められたいって気持ちは、誰しも持っているけど、完全に満たされることはない世界。
だから、誰かに認められるために何かをするのはやめて、やりたいことをやりたいようにやるしかないのかなと。
バドミントンがある程度出来て、キックボクシングもある程度経験者風に出来て、ソフトテニスも多少できて、魚釣りも出来て、バイクも乗れて、カラオケも歌えて…と色んな特徴を重ねていけば、自分だけの色になるのではないかなと。
一つのジャンルのナンバー1になれなくても、いろんな要素を加えていけば、オンリーワンにたどり着く。
昔読んだ、
だからこそできること
という本。
これは、自分の特徴を重ねていけば、他にはいないオリジナリティが生まれるという話。
乙武さんは、手足が無い。
手足が無いからこそできることがあると。
武田双雲さんも、武田双雲さんだからこそできることがあると。
特徴というのは優れていることだけではなく、一見短所なことだったりもする。
頑固だとか、あまのじゃくとか、優柔不断とか。
でもほかの特徴と組み合わせることで、そういう人だからこそできることが見つかると。
中途半端というけれど、突き詰めた人と言うのは本当に少ないし、突き詰めなくてもオンリーワンになれる。
だから、半端でいいと思うことにした。
物事は何でも言いようで、突き詰めた人というのはそれしかできない、ということにもつながる。
あれもこれも出来る、という場合中途半端になる。
誰でも優れたところがあるもので、すべてにおいて優れている人はいない。
人のこともすごいと思えるようにならないと、自分のこともすごいと思えなくなる。
みんな大したことないと思うより、みんなすごいなと思っているほうが幸せ。