人生に無駄なことは起こらない
先日剣道をやっている学生さんが、とても前向きな発言をしていました。
その学生さんは、右手首を痛めてしまって、このまま治らないようだったら手術しかないと言われて、もう半年近く痛みが取れないままでした。
彼は剣道の際、引き技というのを得意技にしていて、後ろに下がると同時に竹刀を振り下ろして面を取るのが得意だったそうです。
面を打つには右手首を思い切り尺屈しないといけない為、手首を痛めたことにより、その技が使えなくなったということでした。
一回目の施術以降は、剣道は何とか出来るようになったけど、その得意な打ち方は出来なくなったので、自分の強みを使えない分、他の技術のレベルアップが出来たというのです。
得意技に頼っていたのが、使えなくなったために他の技術を使わざるを得なくなってレベルアップ出来たということです。
痛めたことで逆に強くなれた気がすると。
痛めた手首が治って、引き技を使えるようになった頃には、他の技も上達して、もっと強くなれることでしょう。
怪我をすることは、誰しも嬉しいことではないでしょうけれど、結果的にケガをしたことによって、苦手の克服が出来ることもあるかもしれない。
怪我をすることによって、何かの気付きがあるかもしれない。
私自身も、怪我をしたことによって、ただテニスが出来るだけで幸せだったと気付いたのです。
怪我をする前は、もっと上達しなきゃと、気負っていたのが、怪我をしたことによって、テニスが出来るだけで幸せに感じられた。
私は当時、そのケガを克服出来ず、やめることになってしまったけど、その時の経験が今生きています。
もし、あの時怪我を克服出来たら、辛い練習が辛く感じなくなっていたんじゃないかと思うのです。
辛いけど、テニスが出来るというだけで幸せなのです。
手首が痛くても、我慢できるなら我慢してやりたかった。
勝っても負けても、スポーツに打ち込んで、やり切りたかった。
私は当時、耐えられるような痛みではなく、道半ばで挫折をしました。
とても辛い経験だったけど、あれが無ければ、今のような活躍は出来なかったかもしれない。
現在は手首の痛みだけではなく、他の関節の痛みも同様に激変させられるようになった。
あの手首の怪我が無ければ見つけることが出来なかった、この技術。
人生に起こる現象は、一つも無駄がない。
人間万事塞翁が馬
私が好きな言葉です。
起きた現象が、幸か不幸か、あとにならないと分からないから、一喜一憂しても仕方がないという意味です。
起きた現象は、すべて未来にプラスになると考えられたら、怪我をしたことはプラスになるのです。
久しぶりに前向きな言葉を聞いたことで、私も前向きなことを言っていたのを思い出しました。
起きた現象を後ろ向きにとらえるのではなく、どう捉えたら前向きになれるのか。
過去の現象は変わらなくても、過去の捉え方は変えられる。