人に優しくは本当に優しいのか?
私は言葉だけの優しさと言うものに、不快感を感じます。
上っ面の優しさの奥に、醜い魂胆を感じることがあるから。
思いやりワクチンなどと、コロナ禍で喧伝されたワクチンですが、当初から、感染を防げない、人に移さないなんてことはないと言われていました。
感染を防げないという正しい発言をする科学者は、テレビなどのメディアから排除されていました。
効果があるように喧伝して、実際には効果どころか有害で、2021年以降日本人の謎の大量死が増えております。
上記は、xなどで有名な、藤江成光さんのグラフです。
2023年の1月なんかは、元々使われていたグラフの上限を超えてしまっているのです。
危険なワクチンのことを、危険だと言っている人たちは、デマを吹聴しているとか、公衆衛生の敵などと叩かれました。
私はどこまで危険なのか、判断が出来ませんでしたので、打っても無駄と言う点で当初からワクチンには反対の声をあげていました。
差別を無くしましょうなどと言う言葉も、上っ面の優しさとは別の利権が見え隠れしていたりします。
弱者にやさしくというスタンスは、優しいように見えて、実は弱者を上手く利用していたりします。
生活保護の人の周りには、生活保護を利用しようという汚い人たちもいるのです。
医療や介護の世界も、弱者に寄り添っているように見えて、公金を吸い上げる仕組みを作っていたり。
私は、弱者をいかに弱者じゃなくするかを大事に考えて欲しいなと思うのです。
そういう構造を知っている私としては、人を弱者にしない方針を取りたいのです。
寝たきりにならないようにする。
病院に行かないようにする。
介護を受けないようにする。
整体に行かなくてもいいようにする。
弱者をサポートするために、弱者を弱者のままにしない。
がんばれる人は弱者ではなくすればいい。
がんばれない人は、その人がそれを求めたのだから、命が尽きるのは寿命として余計な延命はしないという方針にしたい。
命は大事ですが、死んではないけど生きていない人を量産してしまっているのです。
5年間寿命が延びたとしても、その5年間が美味しいものも食べられない、会いたい人に会いに行けない、人とコミュニケーションを自由に取れないとしたら、私はその5年間は生き地獄だと思います。
コロナ禍で行われた、感染対策は、生きているのに、人間らしく生きることを制限するものだったと理解されているでしょうか?
感染症は撲滅出来ません。
そして、今WHOでは強制力を持たせて、次のパンデミックに備えようと言って、様々な決め事を作っていっているのです。
日本に沢山ワクチンの工場を作っているのです。
もう準備しているんです。
おかしくないですか?
個々の免疫力を高めること以上の対策はないのです。
ウイルスには普段から遭遇しているから、鍛えられるのです。
普段から体を動かしているから、身体が鍛えられるのです。
人は守れば守るほど、弱くなるのです。
弱くなった人を利用して、お金を稼ぐ人が増えたのです。
なんのために生きているのか、もっと哲学的に考えられるようにならないと、何度でも騙されるのです。
明日は東京都知事選ですね。
私は田母神としおさんに知事になっていただきたい。
WHOが何をしようとしているかも分かっている。
日本人をどうすれば守れるか、きちんと考えてくれている。