厳しいことを言う人がいなくなった日本
昔の日本と今の日本、どちらがいい国でしょうか?
当然ながら答えはありません。
良くなったところもあれば、悪くなったところもあり一長一短あるわけです。
タイトルの話ですが、厳しいことを言う人が日本には少なくなったという認識があります。
○○ハラスメントという言葉があっちこっちで行き交います。
確かに、気をつけるべき発言があるのも間違いないのですが、それが行き過ぎていないかということも言いたいのです。
もめ事を避けようとしすぎて、人との関わりが浅くなってしまったり。
毅然と対応しないといけないところで、押し負けてしまったり。
学校なんか、教育委員会がクレームに負けすぎて、めちゃくちゃ働きにくくなっていますよね。
話を聞けばどう考えても、クレームをつけている側に問題があるのに、先生が謝罪されていたり。
私が思うのは、人の死生観にもつながること。
人は強くならないと死ぬという事。
人は生まれたら、必ず終わりが来ます。
重力に打ち勝つことも出来ないし、加齢に抗うことも出来ない。
しかし、体力とか体というものは、加齢の影響という一方通行ではないのです。
40代の運動不足よりも、70代の運動続けている人のほうが体力があります。
運動不足の40代はフルマラソンを走れませんが、マラソンを続けている70代は平気でフルマラソンを走れます。
だから加齢は予防することは出来ませんが、体力の低下は予防できるのです。
年々、何をするにも億劫になります。
新しいことを始めるのは億劫だったり勇気がいったりします。
しかし、歳を取ると、今までやってた楽しいことですら億劫になる可能性すらあるのです。
それなのに、優しさばかり見せていたら、人は弱っていくのです。
無理しなくていいよ、そのままでいいよ。
そんな言葉は優しさのように見えた、弱者ビジネスだったりするのです。
弱者のままでいてくれた方が都合がいい人がいるのです。
病院とか整体院とか、基本的に不健康な人で商売をしているのです。
そのまま不健康でいる限り、永続的にお客さんとなります。
健康で悩みが無くなれば、お客さんではなくなる。
厳しいことを言う人が減ってしまった代わりに、人々が弱くなってしまった。
無菌状態になれてしまえば、菌に弱い人が量産される。
ウイルスを除去し続けてしまえば、ウイルスに弱い人が量産される。
ウイルスや細菌に強くなって、病気に強くなれば、人は病院に掛からなくなる。
マスクをいつまでつけ続けるのか。
ここぞという時に、気をつけてマスクを着けるのは否定しないけど、いつでもつけていると、ウイルスに弱くなるのにな。
無理しなくていいよ、痛い動きはしないほうがいいよ、そう言って優しくすればするほど人は弱っていって、介護や病院のお世話になるようになる。
弱者量産ビジネスをする人は、皆優しい顔して優しい言葉を掛ける。
ビジネスに組み込まれているだけで、知らずにやっている人もいる。
スパルタもダメ、優しすぎてもダメ。
今の時代は過剰に優しくなりすぎ。